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PHASE 29 「光暈の意志」

 リナは、くちばしのように空に向けて口を開けた競技場の中央に立ち、ゆっくりと周りを見渡した。

 人気はない。微かにそよぐ風が、地面の砂を少しだけ巻き上げていた。リナは肩の力を抜き深呼吸すると、真上に広がる真っ青な空を見上げた。

「綺麗・・・」

 リナはポツリとそう呟いた。誰の耳に届くわけでもなく、その言葉は静寂の中へと瞬く間に消えていった。

 この世界は、本物と見分けが付かないほどリアルだ。そこには、本当に空が広がっていて、その先には無限の宇宙がある。これは、本物の世界なのだ。リナ自身でさえも、そう錯覚してしまうことがある。

 時々、自分自身もあの空と同じくらいリアルに見えるのだろうかと思うことがある。自分も本当の人間のように見えているのだろうか。いつか、本当の人間らしくなれる日が来るのだろうか。そんな事を、ふと考える。

 そう考える度に、自分という存在はいったい何なのであろうと自問する。わたしは創り物だ。一端のプログラムであり、そもそも実体のない存在だ。しかし、わたしには意志がある。ギドたちとは強弱の差はあれど、人と同じように喜びもすれば悲しみもする。朧気ではあるが、死ぬということに対して不安も感じる。

 自分がブレインのリナとして目覚めた瞬間のことは、未だに良く覚えている。それは、深い夢から覚めたような感覚だった。しかし、目覚めた瞬間、自分はすべてのことを理解していた。自分がブレインであることや、実体のないプログラムであること・・・。

 わたしは人ではない。しかし、人でないことに深い悲しみを感じる。

 他のブレインも同様なのだろうか?それとも、そんなことを考えるのは自分だけなのだろうか?

 リナはため息をつくと、雑念を振り払うように首を振り、もう一度空を見上げた。

「本当の空・・・でも、それは間違ってる」

 リナはそう呟くと、ゆっくりと歩き出した。競技場の先には、天に届きそうなほどの細長い塔がそびえ立っているのが見えた。恐らくこの施設内でもっとも高い建造物になるだろう。リナはその塔に向かって、ゆっくりと歩いた。

 競技場の門を抜けると、そこには荒野のように乾いた白茶色の地面が広がっていた。恐らく、元々は街並みが広がっていたはずだが、まばらに残骸を残すのみで跡形もなく消え去っていた。その先に、たったひとつだけ無傷のままの塔がそびえ立っていた。予想していたモーヴたちの姿はない。

 よく見ると、まるでリナを待っていたかのように、最下部にある扉が大きく口を開けていた。それを確認すると、リナは細心の注意を払いながら塔へと向かい、その門をくぐった。

 門をくぐると、リナは一旦立ち止まりその中を見渡した。思ったより中は広く、両脇に奥へと続く扉あり、中央にはまるで宮殿のような立派な階段が続いていた。外の荒れ果てた風景とはうって変わって、塵一つない真っ白な床が広がっている。まるで別世界に迷い込んだような、そんな印象さえ受けた。

 リナは再び歩き出すと、警戒しながら中央の階段を登り始めた。螺旋状の階段はいくつかのフロアーを貫くように、塔の上へと向かっていた。それぞれのフロアーには、いくつか部屋があるようだったが、リナはそれらには目もくれずひたすら階段を登り続けた。

 階段をようやく登り切ると、そこは円状の広間になっていた。特に目立つものもなく、床が広がっているだけの大広間だった。上を見上げると、塔の最上部と思われる天井が、遙か頭上に見えた。

 リナは他に何かないか広間を見回してみた。これと言って変わったものは見あたらない、平然とした空間が広がっていた。しかし、リナは広間の中央にひとつだけ台のようなオブジェがあることに気づくと、それに向かって歩き出した。

 リナは調べるようにその台を見まわしていると、突然体がふわりと浮かび上がるのを感じた。慌てて足元に目を向けると、台を中心にして1メートルほど円状に床が浮かび上がっていた。床は、リナを乗せたまま塔の最上部へと向かって上昇していった。

 最上部に辿り着くと、床は天井の穴に収まるようにしてようやく止まった。そこは、玉座のような大きな椅子と、それを囲むように水路や柱に囲まれた、ちょっとした室内庭園のようになっていた。

 リナは、部屋の隅で水路に腰掛けた男がいることに気がつくと咄嗟に身構えた。しかし、男はリナを気にもとめていない様子でその中を流れる水をすくう仕草を繰り返していた。

「あなたがナイジェルさんですか?」

 リナの問いを無視するように、男は俯いたまま何度も水をすくう仕草を繰り返していた。

 リナは警戒しながらも、ゆっくりと男に近づいた。しかし、男はリナを警戒する素振りは見せない。自分がブレインであることは、恐らく気がついていないだろうとリナは思った。

 あと数歩というところまで近づくと、リナは一旦歩みを止めた。未だにリナに目を向けようとすらしない男が逆に不自然見えた。

 リナは男の全身をゆっくりと見つめた。どうやら閃黒の剣らしきものは身につけてはいない。一旦彼から目を離し部屋を見まわすと、部屋の壁にまるで飾りのように黒い剣が二本かけられているのを見つけた。リナはそのうちの一つが閃黒の剣であることを確認すると、再びナイジェルに向かって歩を進めた。

「この俺を一人で尋ねてくるとは、良い度胸だな」

 突然男はそう呟いた。リナは思わず足を止め、その告げる男の顔を伺った。

「あなたの噂は伺っています。わたしはあなたを助けるためにここに来たんです」

 リナがそう答えると、男はようやく顔を上げリナに目を向けた。

「助けに来た?」

「はい。そうです」

「違うな。確かめに来たんだろう?自分は本当は何者なのか。それを知りたくて、ここに来たんだろう?」

 リナは思わず目を見開いた。自分がブレインであることが最初から気づかれていると思えたからだ。

「わかっているはずだ。お前はわたしの顔を知っている。なぜ知っているのか。脳裏の断片に残る、その記憶が意味する物は何なのか」

 ナイジェルはそう言うと、リナに手を差し伸べた。まるで、この手を掴めと言っているようだ。

 リナは、これは罠かも知れないと最初思った。しかし、この状況は彼に触れることができる大きなチャンスになる。もしナイジェルがリナがブレインであることに気がついていたとしても、その目論見まで気がついているとは限らない。

 ナイジェルが言ったように、リナは彼の顔を知っていた。初めてリーンで見たときから、確かに気にかかっていたことだ。知っているというより、記憶に残っているだけだ。なぜ記憶にあるのか、彼の言うとおり自分にもわからない。

 リナは意を決したように彼の手に向けて手を差し伸べた。リナの全身に、言いようのない緊張が走る。それと同時に、ブレインの能力を解放し、遠くで見守っているはずのギドの姿を探した。すべては一瞬で決まる。リナはそっとナイジェルの手のひらに、自分の手を乗せた。

 彼の手に触れた瞬間、電撃が走るようにリナの全身が震えた。何かが、リナの体内に流れ込んでくるような感覚を覚えた。しかし、リナはそれを押し戻そうと必死に耐えた。そして、全神経を集中させてナイジェルの内部へと入り込んだ。彼の中枢へと入り込み、その動きを制御しようと試みる。

「ない?」

 リナがそう呟いた瞬間、逆流するように何かがリナの中に押し寄せてきた。まるで走馬燈のように、流れるようにリナの全身を駆け抜けていく。気づくと、リナの目には大粒の涙が溢れんばかりに溜まっていた。

「わたしは・・・」

 リナは頬をつたう涙にも気がつかない様子で、ナイジェルをじっと見つめそう呟いた。

「リナ!」

 突然耳元にギドの声が響いた。それと同時に、ギドが腕をつかみナイジェルから引き剥がそうとする姿が目に映った。

 ギドは身を包んでいたマントを剥ぎ取るように立ち上がり、ナイジェルに飛びかかった。

 しかし、ギドが飛びかかろうとしたその瞬間、ナイジェルはそれを見透かしていたかのように、壁に掛けられていた剣を手に取り、勢いよくギドに向けて振り下ろした。ギドは、寸前のところで立ち止まり、剣の軌道を避けるようにその場に転がった。

「くっ!」

 ギドは咄嗟に立ち上がろうとしたものの、腕に痛みが走り、立ち膝の状態で腕を押さえた。腕を抑えた指の隙間から、鮮血が流れ出ていた。

「ギド!」

 リナは驚いたようにギドの顔を見つめて叫んだ。

「気づいていたのか・・・?」

 ギドは痛みに顔を歪めながら、見下すように眺めるナイジェルを睨み付けそう呟いた。

「ギド!あれほど言ったのに!」

 リナはギドも元に駆け寄りながらそう叫んだ。

 ナイジェルは冷酷な眼差しでギドを見つめていた。ギドはその威圧感に身動きすら取れず、じっとナイジェルを睨み返すことしかできなかった。

 しかし、何を思ったのかナイジェルは閃黒の剣を持つ手を緩め、ギドの前に放り投げた。剣は、ギドの目の前で地面に突き刺さった。

「黒の賢者よ。お前がその剣を使いこなせるというのなら、試してみるがいい」

 ナイジェルはそう言い放つと、リナを抱きかかえたまま踵を返し、背後の壁際に据え置かれた玉座のような椅子に腰掛けた。

「閃黒は人の心の闇を映し出す。闇冴は心の牙を呼び起こす」

 ナイジェルは諭すようにそう呟いた。

 ギドは目の前に突き刺さっている剣を見つめた。近くでみると、刃の輝くような黒さに引き込まれそうになる。剣と言うよりはスピアに近く、細く緩やかな曲線を描く刃は、昔見た日本刀を彷彿とさせた。しかし、ギドはその剣を手にすることがなかなかできなかった。心どこかで、本能的にその剣を拒絶しているのを感じていた。

「ギド、駄目よ!その剣を手にしては駄目!違うの!その剣は・・・っ!」

 リナの声が突然区切れ、彼女はそのままぐったりと首をもたげてしまった。よく見ると、ナイジェルの手がリナの首筋を捕らえていた。ギドが思わず駆け寄ろうとすると、それを制するようにナイジェルは立ち上がり、ぐったりしたリナを抱え上げると、再びギドに視線を向けた。

「気を失っているだけだ。しかし次は確実に命を奪う。さあ、どうする。黒の賢者よ」

 ギドはゆっくり立ち上がると、落ち着きを取り戻したように冷静な表情をナイジェルに見せた。

「愚問だな。俺には関係ない。お前が誰だろうと、この世界がどうなろうと、お前が何を求めようと、ブレインがどうなろうとな」

 ギドは着ていたローブを脱ぎ去り、目の前に転がっている剣に目を向けた。

「あるとすれば、お前には借りがあるってことだけだ。その為なら、天使にでも悪魔にでも魂を売ってやろう」

 ギドはそう告げると、ゆっくりと地面に突き刺さった剣に手を掛けた。手のひらに、剣の束の冷たい感触が伝わってきた。ギドは決心したように力強く束を握りしめると、ゆっくりと地面から剣を抜き、改めてナイジェルに睨み付けた。

 ナイジェルはそれに応えるように、気を失ったままのリナを玉座に降ろすと、ギドの前へゆっくりと歩み寄ってきた。

「自らの目で確かめるといい。お前の闇を。心の牙を」

 ナイジェルはそう呟くやいなや、目の前のすべてを薙ぎ払おうとするかのように、ギドに向けて腕を横一文字に振り抜いた。宙を切り裂くような甲高い音が鳴り響き、青白い閃光がギドを襲った。ギドは、咄嗟にかがみ寸前のところで閃光を避けると、足を力一杯踏み込みそのままナイジェルに突進した。背後で、ナイジェルの放った閃光が塔の壁を突き破り、塔が大きく震えた。

「ナイジェル!!」

 ギドは身をかがめた状態のままナイジェルの足元へと飛び込み、下から振り払うように剣を振り抜いた。

 しかし、ナイジェルは難なくギドの攻撃を交わすと、無防備になったギドの脇腹に蹴りを入れた。ギドはその衝撃で吹き飛ばされ、先ほどのナイジェルの攻撃で崩れた壁の穴まで滑るように転がった。体が壁から半分以上出たところでギドは剣を地面に突き刺し、塔から落ちそうになるのを間一髪で免れた。

「どうやら剣は応えてくれぬようだな」

 崩れた壁から這い上がるギドを見下すようにナイジェルは言った。

「くっ!この野郎!」

 ギドは立ち上がると剣を構え直し、再びナイジェルに突進した。ナイジェルは、身動きせず余裕の表情でギドが突進してくるのを待ちかまえていた。

 ギドが再び低い姿勢でナイジェルの懐に潜り込んだ瞬間、ギドの姿は掻き消えるように突然その場から消えた。ギドの姿を見失ったナイジェルは、冷静な表情を保ちつつも、消えたギドの姿を求め辺りを見回した。

 一瞬、空気が裂けるような音が響く。それと同時に姿を現したギドは、ナイジェルの左腕に目掛けて剣を振り下ろした。剣を振り下ろす瞬間、まるで脈打つような感覚がギドの体中に走り、剣は突然淡い光を放ちはじめた。

 突き刺さるような、確かな手応えがギドにも感じられた。しかし、実際は剣の先端はしっかりとナイジェルの手に握られていた。ギドは類い希な殺気を察知し、飛び退くように後ろに後ずさった。

 脈打つような感覚は、まだギドの体全身に残っていた。剣を持つ手のひらから、何かが流れ込んでくるかのような感覚だった。まるで波のように、ギドの体の中に何かが入り込んでくる。ギドはその感覚に嫌悪感を覚えながらも、放すものかと剣を持つ手に力を入れた。

「そうだ。闇の声が聞こえるか?見えるか、お前の叫びが」

 ナイジェルが問いかける。体中を駆けめぐる波の力は、次第に大きくなっていく。しかし、身体はぴくりとも動いていないことを、ギドは朧気ながら認識していた。暴れているのは、自分自身の心だ。波打つのは、自分自身の記憶だ。ギドは、我を失いそうになるのを抑えるように首を横に振った。

「俺は・・・お前を倒す・・・!」

 ギドは剣を構え、ナイジェルを睨み付けた。

「しかし、人はみな最期に自らの無力さを知るのだ」

 ナイジェルはそう告げると、突然背後の玉座に気絶しもたれていたリナの首をつかみ、締め付けるように持ち上げた。

「くっ!やめろ!やめるんだっ!」

 ギドは力振り絞るように、剣を振り上げナイジェルに飛びかかった。しかし、それと同時にリナの身体は力なく地面に転げ落ちた。

 ギドは一瞬の出来事に動きを止め、しばらくその光景を見つめていることしかできなかった。ナイジェルの手には、リナの眠るような顔だけが取り残されていた。

「さあ、闇の声に耳を傾けてみろ・・・」

 ナイジェルの言葉だけが、木霊するように脳裏に響いていた。

「うっ・・・うあああああ!」

 剣を握る手から、得体の知れないものがギドの身体の中を突き抜けた。黒い闇が、心を包み込んでいく。遠のく意識の中で、ギドの心は生き物のようにうごめく闇に支配されていた。

――人間なんて無力なものだな・・・

 ギドの脳裏に、いつか聞いた言葉が聞こえた。

 目の前には、整然と並ぶ真っ白なソファがあった。そこには、力なく項垂れる父の姿があった。何故か、うっすらと無気力な笑みを浮かべている。ギドは何故父が笑うのか信じられず、酷い嫌悪感を覚えたのを覚えている。

「なんでわたしたちばかりこんな目に・・・」

 悲痛な母の言葉が、静まりかえった病院のロビーに木霊する。

 17歳のギドは、項垂れる両親を横目に、歯を噛みしめながら怒りを抑えている。ギドの腕には物々しく包帯が巻かれ、シャツに染みこんだどす黒く変色した血のあとが、すべてが現実の出来事であったことを物語っていた。

「でも、弘が無事だっただけでも運が良かったと思うしか・・・」

 吐き気がした。ギドは無言のままその場を離れ、妹の由里がいる薄暗い霊安室に向かった。

――俺のせいだ。

 ギドは心の中で呟いた。由里が死んだのは、俺のせいだ。俺がもう少し早く気がついていれば、助けられたはずだ・・・。

 誰もが言う。あれは事故だった。どうしようもなかった。誰が悪い訳じゃないんだ。

 違う。

 ギドはもうすぐ15歳になるはずだった妹の安らかな死に顔を、じっと見つめていた。

 その日、ギドは家族で河川敷の花火大会に出向いていた。その出来事は、その帰り道で起こった。

 ギドが暮らす地域でも、最も盛大な花火大会の一つだった。河川敷はギドの家から私鉄でいくつか離れた場所にあり、この日、誕生日を明日に備えた由里にせがまれる形で家族は久しぶりに揃って河川敷の花火大会に赴いていた。

 帰りは予想以上に混雑していた。昔は人も少なくのんびりとした場所だったが、都内へ私鉄一本で行ける立地条件もあり、ここ数年で密集化が進んでいた。それに伴うように、この花火大会も盛大さを増していたのだ。

 ギドたち家族はやっとの思いでホームに辿り着き。疲れ切った顔で電車が来るのを待っていた。ホームも次から次へと人が流れ込んでくるような状態で、ギドは力一杯踏ん張って由里が苦しくないよう彼女を守るようにホームに立っていた。

 その時だった、突然倒れ込むように人の波がギドを襲った。人一人の力で耐えられるようなものではなかった。ギドが胸の中の由里を庇うようにした瞬間、その力に押し出されるように倒れ込んだ。

 気づいたときには、線路に落ちていた。突然の出来事に呆気に取られながらも、ギドは本能的にホーム下のくぼみへと身を滑り込ませた。

 振り向いた瞬間、そこには気が動転し泣き叫ぶ由里の顔があった。由里は、必死にギドに向けて手を伸ばし、何かを叫んでいた。

「由里!」

 ギドは咄嗟に彼女の手を掴もうと腕を伸ばした。しかし、次の瞬間差し出した手は激しく跳ねとばされ、通り過ぎる電車の轟音と共に、由里の姿も一瞬にしてギドの目の前から消え去った。

――全部まやかしだ。

 安らかに眠る由里の顔を見つめながら、ギドはそう心の中で呟いていた。

 由里が最期にどんな顔をしていたのか、自分は知っている。どんなに怖かったか、由里がどんなに傷ついたか自分は知っている。

 あの時、誰が無力だったのかを、自分は一番良く知っている。

 もっと身を乗り出して由里の手を掴めていたとしたら、腕の怪我どころでは済まなかったかもしれない。恐らく、自分も一緒に電車に跳ねとばされていただろう。

 自分はそれを分かっていた。分かっていて、身を乗り出すことができなかった。命を捨ててまで、由里を助けようとする勇気がなかった。

「俺にほんの一握りの勇気さえあれば、たった一人であんな怖い思いをさせずに済んだのに」

 ギドは妹の遺体の傍らに座り、項垂れるようにそう呟いた。

「本当にそう思っているのか?」

 闇の中からそう語りかける声が響いた。ギドは我に返ると、咄嗟に立ち上がり、声の主を探すように辺りを見回した。気づくと辺りは闇に包まれ、由里の遺体も静まりかえった病院も消え失せていた。

「くっ!ナイジェルか!?」

「違うはずだ。お前は思ったはずだ。自分勝手な人間たち。たかが早く家に帰りたいがために、お前の妹は犠牲になった。そんな人間たちに、お前は深い憎しみを覚えたはずだ」

 声の主は、ギドの言葉を無視するように語り続けた。

「お前の闇を見ろ。本当の心に目を向けろ。憎しみこそ、真の力だ。我々の生きる糧は、憎しみにこそある」

 ごとり、という鈍い音と共に、ギドの足元に何かが転がった。

 微動だにしない由里の頭だけが、そこに転がっていた。

「うっ・・・うあああああ!」

 ギドはそれを目にした途端、頭を抱えるようにその場にうずくまった。

「無力さを知れ。そして真の力とは何かを考えろ。お前に必要なものは、いったい何だ?」

「ぐっ!俺は・・・俺は・・・!」

「心の闇に目を向けてみろ」

 闇の声は囁く。

「憎い・・・憎さ・・・」

 ギドは苦しそうに頭を抱え身をかがめながら、そう呟いた。

「なら、与えてやろう。我の力を。憎しみに満ちた、本当の力を」

「憎いさ・・・己の無力さがな・・・。しかし俺はそれを人のせいにするような弱い人間じゃない・・・」

 ギドの脳裏には、初めてリナに会ったときの光景が浮かんでいた。

 由里に似ている。そう思った。サキと初めて会ったときにもそう思ったが、由里と同じ年格好のせいか、ギドにはリナが由里の生まれ変わりのように見えた。

――わたしのインペリアルナイト・・・。

 リナの声が、脳裏に木霊した。リナはうずくまるギドの頭を抱き込むように、そっと呟いた。

――あなたは憎しみに溺れるほど弱い人間じゃない。わたしの命は、今あなたと共にある。すべては闇が見せた幻想。闇に打ち勝ち、目覚めて、ギド。

「お前の力などいらない!俺は自らの力で己の無力さを克服してみせる!」

 ギドはゆっくりと立ち上がり、何も見えない闇に目を向けそう叫んだ。

 その瞬間、何かがはじけ飛ぶように目の前をかすめた。闇は瞬く間に打ち消されていくように、体中がまばゆい光に包まれていた。ギドは自らの心が解き放たれ、穏やかな慈しみと確たる自信に満ちあふれていくのを感じた。

 気がつくと目の前にはナイジェルがリナを抱きかかえたままの姿で立っているのが見えた。ナイジェルに抱きかかえられたリナは、先ほどと変わらず眠るように意識を失っているように見えた。

 ギドの心は妙に落ち着いてた。手に持つ剣をゆっくりと構え、ナイジェルを見つめた。

 剣は、まばゆいばかりに輝き、白く光る剣へとその姿を変えていた。

「こんどこそ、お前を倒す」

 ギドは自信に満ちた口調でそう呟いた。

「光暈の剣が目覚めたか・・・期待以上の出来だ。黒の賢者・・・いや、白の騎士よ」

「どういう意味だ?」

「すべて私の思惑通り・・・とでも言っておこう」

「ふ・・・負け惜しみを!リナを返してもらおう!」

 ギドは光暈の剣を振りかざし、素早くナイジェルを斬りつけた。剣の辿る軌道はそのまま光の筋となり、ナイジェルを襲った。しかし、ナイジェルはリナを抱えたまま宙に浮き上がりそれを交わした。ギドの放った閃光は、塔の壁を突き破り、彼らのいた部屋のほとんどの壁を崩し去ってしまった。

 飛び上がったナイジェルは、すぐさまギドに向けて手を振り下ろした。ギドは、ナイジェルの放った閃光を剣で受け止めながら、大きく揺れる塔に足を奪われその場に片膝を付いた。

「すべては再び会ったときにわかるだろう。白の騎士よ。それまで、リナは私が預かっておく」

 ナイジェルはそう告げると、ゆっくりと崩れた壁の外へと消えていった。

「待て!ナイジェル!」

 ギドはナイジェルに駆け寄ろうとしたが、塔が激しく揺れ始め、バランスを崩し再びその場に膝をついた。

 空いた壁から徐々に崩れ始め、塔は瞬く間に傾き始めた。ギドは素早く剣を玉座へと突き刺したが、塔はますます傾き部屋の中にあったものも、すべるように壁の外へと落ちていった。

「くっ!こんなところで!」

 ギドが叫んだ瞬間、光暈の剣はまばゆく輝き、その光は瞬く間にギドを包み込んだ。すると、ギドの身体はふわりと宙に浮き、突然塔の外へとすべるように飛び出していった。

「なっ、なんだ?」

 気がつくと、ギドは真っ白な竜の背中に乗っていた。手に持っていた光暈の剣は、あとかたもなく消え去っていた。

「まず礼を言おう。わたしが再び我を取り戻せたのは君のおかげだ」

 竜が顔をギドに向け、そう語りかけてきた。

「わたしの名はリージュ。光暈の剣に宿る白竜」

 ギドを乗せたリージュは、そう告げると空高く舞い上がっていった。

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