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PHASE 25 「赤の騎士」
有紀は天窓近くの床に腰掛け、暗くなった外をじっと眺めていた。モーヴ達の姿はなく、辺りは穏やかな静寂に包まれていた。
翔とミイが中に入ってから、既に1日以上過ぎようとしていた。モーヴ達は翔とミイが中に入ってからも、しばらく執拗に扉をこじ開けようとざわめいていた。扉は、リンドウのかけた施錠の魔法で何とか持ち堪えているような状態で、いつモーヴ達が押し入ってきてもおかしくない状況だった。しかし、夜明けと共にモーヴ達は忽然と静まりかえり、そのまま1日が過ぎた。夜が更けた現在も、重苦しい静寂だけが辺りを包み、まるで嵐の前の静けさと言わんばかりの空気に包まれていた。
「見張り、交代しようか」
物音に反応して後ろを振り向くと、リンドウが顔を覗かせそう声を掛けてきた。リンドウは、そのまま梯子を登り切ると、有紀に並ぶようにロフト上になった床板に腰を下ろした。
「カケルくん達、遅いわね・・・」
有紀は天井に開いた天窓の隙間から見える星を眺めながらそう呟いた。
「大丈夫さ。ミイも一緒なんだ。必ず戻ってくる」
リンドウはそう答えながらも、項垂れた表情で有紀の顔を見つめた。そして、そのまま天窓に目を向け、考え事に耽るように黙って外を眺めていた。
「ねえ、リンドウさん。一度聞いてみたかったんだけど・・・」
重苦しい空気を遮るように、再び有紀がそう口を開いた。
「なにを?」
リンドウは顔を上げ有紀の方に振り返りながら、そう声を掛けた。
「あなた達は何故このオフライン・ゲームに参加しようと思ったの?」
「みんなを誘ったのは俺だ。知り合いのつてで、偶然このオフライン・ゲームの招待券を手に入れてね。しかし、まさかこんなことになるなんてね・・・」
リンドウは項垂れるように再び顔を伏せた。
「私はある程度予測してたわ。もちろん、こんな状況になるなんて思ってもみなかったけど、何かしら起こるとは思ってたわ」
「女の勘ってやつかい?」
リンドウは顔を上げ、冗談交じりに乾いた笑顔でそう尋ねた。
「まあ、それもあるかな」
有紀は冴えない表情でそう答えた。
「君は会社の指示でグランドキーパーとして参加したんだろ?何故、断らなかったんだ?」
「・・・いいえ、この件は自分から上司に直訴したの。どうしても、調べなきゃいけないことがあったのよ。でも、結局わたしはいろんな人を巻き込んでしまった・・・」
「佐伯くんと富野間くんのことか・・・」
リンドウは有紀の表情を覗うようにそう呟いた。有紀は涙を堪えるように、気丈な表情で頷いて見せた。
「わたしたち、みんな同じ職場の仲間だった。わたしがオフライン・ゲームにグランドキーパーとして参加すると決めたとき、内密にしてもらうよう上司に念を押したわ。だって、彼が・・・佐伯が知ったら、自分も参加するって言うのはわかってたから。これは、わたしの私的な事情であって、本当のところ会社の利益なんて関係なかったのよ。技術を調査するなんて言うのは、表向きの口実だったんだから・・・。誰も巻き込みたくなかったの。でも、上司は富野間も一緒に派遣することを決め、富野間は補佐役として佐伯を選んだ。そのことを直前まで知らせられていなかったわたしは、二人がグランドキーパーとして現れたとき、それこそ驚愕したわ。でも、結局はわたしが二人をここに招き入れる結果になってしまった。そして二人は・・・」
そう言うと、有紀はまるで溢れ出そうになる何かを抑えるように口を堅く閉じ、押し黙ってしまった。
「それは、君の所為じゃない」
リンドウは顔を伏せたまま、まるで独り言を呟くようにそう言った。
「すべては、アルダリスシステムの暴走から始まったんだ。それは誰も予測できないことだったし、誰も止めることはできなかったんだよ」
リンドウは自分自身にも言い聞かせるような口調で、そう有紀に告げた。
「違うわ。言ったでしょう?わたしは『ある程度予測していた』って。わたしは知っていたのよ。会場にいるすべての人達に危険が迫っていることを」
有紀はリンドウの瞳をじっと見つめながら、自分自身を責め立てるように強い口調でそう答えた。リンドウは驚きの表情で、そう告げた有紀の真意を探るように、彼女の顔を見つめていた。
「わたしの姉は・・・このアルダリスシステムの設計者だったの」
有紀は気を落ち着かせるように一度深呼吸をすると、静かな口調でそう答えた。
「君の・・・お姉さんが・・・?」
「ええ。わたしの姉は、アルダリスシステムの開発者だった。もっとも、わたしがそれを知ったのは、姉の遺した日記からだけど。姉は・・・昨年亡くなったの。自宅で・・・」
「そうなのか・・・」
リンドウは有紀の言葉の意味を理解し、そう呟くように答えた。
「姉はアルダリスシステムの開発者として、身の危険を感じていたのよ。日記には、姉を襲った偶然とは思えない数々の不幸が綴られていたわ。そしてある日、最大の不幸が姉を襲った・・・。姉の・・・命よりも大切な姉の子供が、不慮の事故で命を落としたの。まだ小学生だったわ。わたしも泣いたわ。とても元気で明るい、姉によく似たとても賢い子だった・・・」
有紀はそう言いながら、記憶の中にある親子の姿を思い浮かべていた。姉の百合と、その息子の空は、まるで兄弟のように仲が良かった。自分自身も、空のことを弟のように可愛がっていた。空には父と呼べる存在はいなかったが、それでも彼は姉の息子でとても幸せだったと、有紀は心からそう思う。
「姉はさまざまな不幸をただの偶然とは思っていないようだったわ。でも、我が子の死という現実は彼女には受け止めることができなかった・・・」
有紀は決意の表情でそう言った。
「姉の日記から、アルダリスシステムの開発者は他にもいることを知った。全員で3人・・・。わたしは他の開発者と連絡が取れれば、何か分かるかも知れないと思ったわ。でも姉の日記には、それが誰なのかも書かれていなかった。いろいろ手を尽くして調べてみたけど、アルダリスシステムの開発者はわからなかった。まるで何かに覆い隠されてるみたいに。でも、わたしには諦められなかった。わたしは許せなかったの。姉を・・・あの幸せな親子から命を奪ったものを。わたしは、それを探るためにオフライン・ゲームに参加した。姉の無念を晴らすために」
そう言うと有紀は顔を上げ窓の外に目を向けた。リンドウは沈黙したまま彼女の話をじっと聞いているだけだった。
「佐伯と富野間は、わたしの復讐劇の犠牲になっただけなのよ」
有紀は、沈黙するリンドウを尻目に、そっぽを向いたまま冷たい口調でそう呟いた。しかし、その頬に涙がつたって流れているのを、リンドウは気づいていた。
「違う。それは違うぞ」
リンドウは今までと打って変わって、厳しい口調でそう有紀に答えた。
「彼らが死んだのは君の所為じゃない。彼らは君の復讐劇に付き合ったわけでもないし、君はここに復讐劇のために来たわけでもない。君のお姉さんが日記を遺したのも、きっと君に何かを伝えたかったからだろう?君のお姉さんと、死んだ彼女の息子の無念を晴らすためなんかじゃない。君には分かってるはずだ。何故、自分がここに来たのか。君は救いたかった。これ以上不幸になる人を増やしたくなかった。だから、ここに来たんだ。彼女の意志を継いで」
リンドウはそう言うと、ふと階下に目を向けた。そこには、二人を心配そうに見上げるシュリの姿があった。
「復讐の為じゃない。ただ、理不尽に死んでいった者たちの命を無駄にしないことが俺たちの使命だ。俺は、そう思っている」
リンドウは視線を有紀に戻すと、諭すようにそう言って口を閉じた。
「リンドウさん・・・あなた・・・」
有紀は少々驚いた様子でリンドウの顔を見つめ、そう呟いた。しかし、その言葉は突然響き渡った咆哮に掻き消されていた。
「今のは!?」
リンドウは立ち上がり、天窓に張り付くようにして外に目を凝らした。
「モーヴだ!」
リンドウはすぐに天窓から顔を放すと、階下に向かって大きくそう叫んだ。ひっそりと沈黙していた人々は、動揺を隠せない様子で一気にざわめき始めた。
すると、地鳴りのように突然地面が大きく揺れ始めた。カタカタと壁が揺れ、砕けた天井の破片が逃げまどう彼らの頭上に降り注いでいた。
リンドウと有紀は急いで梯子を下りると、心配そうに見つめるシュリの元に駆け寄った。同時に、浦木や他の者たちも掛け集まってきた。
「モーヴ達が一斉に仕掛けてきた!昨夜の何倍といるぞ!まともに戦ったら10分と保たない。何とかして、ここから逃げ出すんだ」
地鳴りに打ち消されそうになりながらも、リンドウは大声でそう浦木たちに声を掛けた。
「しかし逃げると言っても・・・」
「とにかく死にたくなければ必死に逃げろ!あんたたちは、誰よりも死にたくないという思いが強いだろ!?その気持ちさえあればきっと逃げ切れる!」
リンドウはそう言うと、集まった者たちに大声で声を掛けた。
「いいか!固まって動くな!バラバラになって逃げるんだ!固まって動いたら標的にされるぞ!自分の命を守れるのは、自分だけなんだ!」
頭上で大きな音が鳴り響き、崩れた天井がリンドウたちに降り注いだ。リンドウたちは慌てて柱の影に身を寄せ見上げると、天窓のあった場所には大きな穴が開き、そこから流れ込むようにモーヴたちが入り込んできていた。
「よし!走れ!早く!後ろを振り返るな!」
リンドウがそう叫ぶと、彼らは一斉に扉に向かって走り出した。リンドウは、それに合わせて呪文を唱え、遺跡の扉に向け光の玉を放った。遺跡の扉は跡形もなく飛び散り、ぽっかりと開いた穴から人々は我先にと駆け出していった。
「シュリ!有紀!君たちも早く逃げるんだ!」
リンドウは有紀たちにそう声を掛けると、あらかじめ集めておいた武器の中から剣を取り、突進してくるモーヴたちに向かってそれを構えた。
「リンドウさんは!?」
「カケルもミイのいない今、戦えるのは俺しかいないだろ?ここが男の踏ん張りどころってヤツだ」
リンドウはそう言うと飛びかかってきたモーヴを剣で斬りつけた。勢い余って突進してきたモーヴは、リンドウの剣をまともに受け、その場に真二つに裂かれ倒れ込んだ。
「まともに戦っても10分も保たないって言ってたじゃない!」
有紀がすがるようにそう叫んだ。リンドウは彼女の前に立ちはだかり、次から次に襲ってくるモーヴを剣でなぎ倒していった。
「9分あれば逃げる時間くらい稼げるさ。俺はあっさり死ぬキャラじゃない。盗賊だからな」
「格好付けたこと言わないでよ!」
有紀は咄嗟に剣を取り上げると、飛びかかってきたモーヴを間一髪のところで斬りつけた。有紀はそのままリンドウに駆け寄ると、彼の背中を合わせるようにして剣を構え、取り囲むモーヴたちを睨み付けた。
「復讐なんかじゃないわよ!でも、これ以上誰かを失うのはもう嫌なの」
二人が剣を構えていると、人虎の姿をしたモーヴがゆっくりと歩み寄り、突然手を大きく振り回してきた。すると、爪の先が抜け、リンドウたち目掛けて飛んできた。
しかし、リンドウたちの目の前まで飛んできた爪は、何かに当たって弾かれるように跳ね返されていた。
「わたしも、お二人を見捨てて一人で逃げることなんてできません」
そう言って、手をかざしながらシュリが二人の傍らに立っていた。シュリのかざした手のひらから広がるガラスの壁は三人を包み込み、放たれるモーヴたちの爪を跳ね返していた。
リンドウは呆気にとられた様子で二人の顔を交互に見渡した後、諦めたように向き直り剣を構えた。
「いいか。俺たちは死ぬために戦ってるんじゃない。生きるために戦ってるんだ。それを忘れるな!」
リンドウがそう叫ぶと共に、シュリの作った結界が崩れた。それと同時に、モーヴたちが我先にと襲いかかってきた。
リンドウは転がるようにして身をかわし、必死に剣で斬りつけた。
「くっ!やっぱり魔法使いか賢者に転職しとくんだったな!」
リンドウはそう愚痴をこぼしながら、呪文を呟き剣に手をかざした。すると、炎が濛々と燃え上がり、剣が火に包まれた。リンドウはすかさず有紀の持つ剣にも炎を飛ばし、彼女の剣も同じように炎に包んだ。
「悪いな。俺に出来るのはこれくらいだ。あとは実力で何とかしてくれ!」
「ありがたいわ!大丈夫!これでも、剣道4段だからね!」
有紀は答えると、剣を上段に構え一気に振り下ろした。一瞬にして振り下ろされた剣の先から伸びた炎は、目の前にいたモーヴたちを一刀両断していた。
「シュリ!」
振り返るとシュリがモーヴたちに囲まれ壁へと追い込まれていた。彼女は、目の前に必死に結界を張りながら、モーヴの執拗な攻撃に耐えていた。
すると、突然槍状の結晶のような塊がモーヴたちの頭上に出現し、そのままモーヴたちに振り落とされた。鋭利な結晶はモーヴたちに突き刺さり、シュリは申し訳なさそうに顔を背けその姿を見つめていた。
「ごめんなさい・・・あなた達が悪いんじゃないの・・・」
「シュリ、大丈夫か?」
リンドウが駆け寄ると、シュリは我に返ったように頷いて見せた。
「あとちょっとだ。あと5分、持ち堪えるんだ!」
モーヴたちは開いた穴から次々と襲いかかってきた。すると、再び大きな地鳴りが響き、大きく天井が崩れ落ちてきた。リンドウたちが見上げると、大きく開いた天井から、大きな翼を持つガーゴイルたちが侵入してきていた。
「みんなこっちへ!」
シュリの言葉に、リンドウと有紀は彼女の元に駆け寄った。彼女は二人が側に来ると、再び先ほどよりも大きな結界を張り、群れるモーヴたちを寸前のところで跳ね返した。
「くそっ!囲まれたか!」
リンドウは群がるモーヴたちを見渡しながらそう舌打ちした。
「すいません。わたしの作る結界はあまり強くありません。そう長くは持ち堪えられません」
「・・・みんな逃げられたかしら」
有紀が剣を下げるとそう呟いた。
「最善は尽くした。後は彼ら自身の心の問題だ」
リンドウはそう答えると、剣の魔法を解き、持っていた剣を地面に突き刺した。
「そうだ!ねえ、あなたの能力でテレポートできないの?この間みたいに」
有紀が思い出したようにシュリにそう尋ねた。しかし、シュリは首を横に振って応えた。
「カケルさんがいない今、テレポートはできません。一緒にいるときでしか・・・」
シュリがそう答えると、残念そうに有紀は項垂れて頷いた。
再び地鳴りが響いた。今度の地鳴りは、外からと言うより、足元から響いているような感覚がした。しかも、地鳴りは次第に大きくなり、まるで地震が起きたかのように足元が大きく揺れ始めた。
「な、今度は何なんだ!?」
リンドウがそう叫ぶと同時に、三人が立っていたすぐ真横の地面が崩れ落ち、そこから大きな翼を持ったモーヴが飛び出してきた。飛び出してきたモーヴは、旋回するようにリンドウたちを取り囲んでいたモーヴたちを薙ぎ払うと、そのまま天井を突き破りそのまま上空へと飛び去って行った。
「・・・赤い竜」
有紀は空を旋回するその姿を見送りながらそう呟いた。
「とにかく逃げるなら今だ!」
リンドウの言葉に我に返ったシュリは結界を解いた。三人は、そのまま外に飛び出し、再び食い入るように空を旋回する赤竜を見上げた。
「あの竜の背中に・・・カケルさんが・・・カケルさんとミイさんが乗ってました」
シュリが赤竜を見上げながらそう言った。
「カケルとミイが!?」
リンドウと有紀は驚きの声を上げ、三度赤竜を見上げた。
赤竜は空を何度か旋回すると、大きな咆哮を上げ再び下降してきた。そして、ゆっくりと地面に降り立つと再び咆哮を上げた。その姿をリンドウは目を凝らして見ていた。
「カケルとミイだ!確かに背中に乗っているぞ!」
「でも二人とも動かないわ・・・気絶してるみたい・・・」
有紀がそう呟くと、赤竜は大きく翼を羽ばたかせ、突然口から炎を吐き出した。リンドウたちは、危うく炎の直撃を受けそうになり身を屈めた。炎が収まりようやく顔を上げると、すでに辺り一面は炎の海と化していた。
「くそ!どうなってるんだ!」
リンドウたちは荒れ狂う赤竜を、為す術なく見上げていた。
ミイはじりじりと頬を照りつける炎の熱さに、ゆっくりと目を覚ました。目を開けると、そこには翔の顔が目の前にあった。翔はミイを抱きしめるようにして気絶しているようだった。
突然、ふわりと身体が宙に浮いた。それと共に耳元で咆哮が響き、空中に飛び上がるのがわかった。
ミイは我に返ると身体を持ち上げ、下に見える炎に包まれた街を見下ろした。そして、自分たちが赤竜の背中に乗っていることにようやく気がついた。
あの時、グレースとブルースが衝突した瞬間、まるで爆発したかのような閃光に包まれた。その時、必死に自分を抱き寄せる翔の温もりは今でも覚えている。しかし、次の瞬間大きな衝撃に襲われミイは気を失ってしまった。
気絶したままの翔の腕はしっかりとミイの身体を包み込み、もう一方の負傷した腕で竜の翼のつけ根をしっかりと握りしめていた。ミイは振り落とされないように赤竜の背中にしがみつきながら、気絶したままの翔の頭を持ち上げた。翔の腹は鮮血に染まり、あの出来事が夢でなかったことを物語っていた。
『怖い・・・怖いよ・・・』
ミイの脳裏に響くような声が聞こえた。赤竜は我を忘れ炎を吐き、まるでありとあらゆる物を焼き尽くそうとしているかに見えた。
「・・・ブルース」
翔がうっすらと目を開けて、そう呟いた。
「カケルくん!」
ミイは腕に抱え込むように翔を抱き寄せ、うっすらと目を開けている翔に声を掛けた。翔は、視点の定まらないような眼差しでミイを見上げた。
「ミイ・・・良かった・・・無事だったんだね」
翔は手を挙げ、ミイの顔を探すように手をまさぐっていた。ミイは翔の手を取ると、その手を自分の頬に押し当てて何度も頷いて見せた。
「うん。わたしは大丈夫。でもカケルくんが・・・」
ミイは翔の傷を眺め、目に涙を溜めながらそう言った。
あの時、翔はミイの持つ剣を自ら腹に刺した。剣が身体を貫通していくあの重みを、ミイは生々しく覚えている。彼の鮮血が、剣を掴むミイの腕にも流れ落ちてきていた。その瞬間、憎しみに支配されていたミイの心は弾けるように解き放たれた。翔が自分の心を救ってくれたのだ。身を犠牲にして、彼は自分を救ってくれたのだ。
『カケル・・・怖い・・・怖いよ・・・』
また、ミイの脳裏に声が響いた。
「ブルース・・・受け入れるんだ。誰にだって心の中に光や闇を持ってる。それを認めることが大切なんだ・・・」
翔は力を振り絞って身体を起こすと、赤竜の首にもたれ掛かるように倒れた。そして、声を振り絞るようにしてそう赤竜に声を掛けた。
『駄目だよ。暗いんだ。暗いんだよ・・・』
「頑張るんだ、ブルース」
赤竜は首を上げ、泣いているような大きな叫び声を上げた。その勢いで、翔は体勢を崩し振り落とされそうになった。
「ぐっ!」
翔の口元から、溢れるように鮮血が流れ出た。そして、そのまま気を失うように倒れ込んでしまった。
「カケルくん!」
ミイは咄嗟に翔の身体を引き寄せ翔の顔を覗った。翔の頬を撫でながら、翔に何度も声を掛けた。しかし、翔が目を覚ます気配はなかった。顔色からも血の気が引いていき、ミイにも彼の命が尽き果てようとしているのが分かった。
今、自分の心を支配する物は何なのだろう?自分自身への憎しみだろうか?自らの手で愛する人を手に掛けた、己の愚かさに対する憎しみだろうか?
違う。今自分の心の中にあるのは憎しみではない。ミイはそう思った。どんなに悔やんでも過去の過ちは消えることなどない。彼が言っていたように、必要なのは受け入れることなのだ。そして、今自分できることに目を向けることだ。ミイにはそう思えた。
ミイは翔が自分のローブを握りしめていることに気がつくと、それを彼の手から取り上げ身につけた。ミイは、翔を腕に抱きかかえたまま顔をその胸に押し当て、今にも途切れそうになる翔の鼓動を聞いていた。
今までずっとひとりぼっちだった。でも、今自分には彼がいる。そして、今ここには確かに自分がいる。失うわけにはいかないのだ。
――わたしは生きるのだ、彼と一緒に。
ミイは翔の傷に手を当て、祈るように呪文を唱え始めた。
「な、何・・・?」
有紀が赤竜を見上げていると、仄かに白い光を放ち始めるのが見えた。それに呼応するように、赤竜は落ち着きを取り戻したかのように沈黙し、空中で羽ばたきながら止まっていた。光は見る見るうちに大きさを増し、赤竜を包み込みその姿も見えないほど輝き始めていた。
「カケルとミイはどうなったんだ?」
「事は思ったより深刻だったようです・・・」
シュリが申し訳なさそうにそう答えた。リンドウと有紀は振り返りシュリに目を向けると、そこには身体が微妙に透き通っていくシュリの姿があった。
「シュ・・・シュリ?どういうこと?」
「これも運命だったのでしょう。わたしとカケルさんは運命を共にする定めですから。しかし、これで終わったわけではありません。あなた達が新たな運命を切り開くことをわたしは信じています」
シュリはそう告げると、二人に微笑んで見せた。リンドウは信じられないと言ったように首を振ってみせた。
「カケルが!?そんな訳がないだろ!?」
リンドウは上空に白く輝く光を見上げながら言った。
「じゃあ、赤焔の剣は・・・」
「助ける方法は?助ける方法はないのか?」
リンドウが食い下がるようにシュリに言った。しかし、シュリは落ち着いた表情で首を振って見せた。
「ねえ、あれ!」
空を見上げていた有紀が突然そう叫んだ。リンドウは有紀の指さす先を見上げると、そこには大きな翼を羽ばたかせる黒竜が光に近づいてきていた。
「くっ!こんなときに!ナイジェルか!」
リンドウはそう叫ぶと、再び剣を手にして空を旋回する黒竜を見上げた。
「みすみすカケルとミイを殺されてたまるか!シュリと有紀は隠れているんだ!俺がナイジェルをおびき寄せる!」
リンドウはそう言うと有紀たちが止める間もなく走り出した。
「彼の言うとおりにしましょう。あの光を見ていると、何となく奇跡を信じられる気がするわ」
有紀の言葉にシュリは頷くと、二人は崩れた遺跡の影に身を潜め、走り去っていくリンドウを見送った。
リンドウは二人が物陰に隠れたことを確認すると、空を舞うナイジェルを見上げた。
「ナイジェル!こっちだ!俺が誰だか分かるだろう!」
リンドウは空に向かってそう叫んだ。黒竜は白い光を避けるように大きく旋回すると、リンドウの目の前にゆっくりと降り立ってきた。地上に降り立つと、黒竜は瞬く間に閃黒の剣へと姿を変え、黒い鎧を身に纏った男の手に収まった。
「リンドウか・・・?」
ナイジェルは無表情のままそう言った。
「覚えていてもらえて光栄だな」
「こんな姿になっても、古い友人を忘れたりはしないさ」
「いったい何を企んでる?」
リンドウはじっとナイジェルの顔を覗いながらそう尋ねた。しかし、表情が変わるどころか頬がぴくりと動くことさえなかった。
「わからないのか?」
「わからないね。それに俺はお前の友人ではない。この亡霊が!」
リンドウはそう叫ぶと同時に、剣を振り上げナイジェルに飛びかかった。しかし、ナイジェルはすっと身体を浮かせ、リンドウの剣をかわした。
「わたしは亡霊ではないよ。実体は変われど、わたしは他の誰でもない『早瀬來斗』だからな」
「違うぞ!お前は來斗ではない!來斗は死んだんだ!」
リンドウは再び剣を振り上げナイジェルに飛びかかった。しかし、いとも簡単にそれをかわすと、ナイジェルはリンドウの背後を取り、剣を彼の首筋に当てた。
「無駄だ。昔のよしみで情けをかけてやっているのがわからないのか?」
ナイジェルはそう言うと、リンドウに突きつけていた剣を下げた。
「情け?お前は本当に感情を獲得したと思ってるのか?ナイジェル・・・いやアルダリス。お前はただの人形だよ。世界を支配していると思いこんでいるだけの人形なんだよ。『早瀬來斗』という見せかけの皮を被ったな」
今まで無表情だったナイジェルの口が、少しだけ薄ら笑いを浮かべるように動いた。
「感情。いらないさ、そんなもの。最初からいらなかったんだよ。感情は決断を曇らせるだけの不要な産物だ。バグなんだよ」
そう言うとナイジェルは閃黒の剣を振り上げ、リンドウに向かって振り下ろした。すると、振り下ろした剣筋にそって舞い上がるように黒い筋がリンドウを襲った。リンドウは間一髪のところで、転がりながらそれを避けると、片膝を付いたまま剣を構えて見せた。
「ほらな。感情なんて物は、完璧さを狂わす。もう俺には感情なんていらないんだよ」
そう言うとナイジェルはもう一度剣を振り上げた。
「じゃあな、リンドウ。最期に話ができて良かった」
ナイジェルはそう言うと、一度目を閉じた。そして再び目を開けたとき、先ほどまで感じられた視線が消え失せていることにリンドウは気がついた。その姿は、まさに人形だ。冷酷な殺人鬼が、リンドウの前に立ちふさがっていた。
ナイジェルが無言のまま剣を振り下ろそうとする瞬間、空の上に輝いていた赤竜の光が、リンドウたちを包み込むようにその輝きを増していることに気がついた。光に包まれたリンドウは視界を失い、しばらく目を開けることすらできなかった。何が起きたのかも分からず、リンドウは身を屈めるようにして光が収まるのを待った。
始めに目の前に見えたのは人の影だった。リンドウの前に立ちふさがるように立っている。あまりの光に色を失っていたリンドウの目には、その影しか見えなかった。しかし次第に視界が色を取り戻し始めると、黒い影は淡く白い輝きの中に同化していった。
「ミイ!?」
そこには、赤焔の剣を持ちナイジェルの剣を受け止めるように立っているミイの姿があった。その足元には、まるで眠るように横たえている翔の姿があった。
「あなたには、わたしの仲間に指一本触れさせないわ!」
ミイはナイジェルの剣を振り払うと、そのまま勢い余って剣が地面に突き刺してしまった。ミイは咄嗟に剣を構えようとしたが、その重さに耐えきれず剣先が地面に付いてしまった。
「赤焔の剣か・・・これでようやく役者が揃ったな」
ナイジェルは呟くようにそう言うと、再び剣を天に突き上げた。
「その前に・・・邪魔者は消えてもらう」
そう呟くと、ナイジェルは身体を反転させ、リンドウに向けて剣を振り下ろした。意表を突かれたリンドウは、逃げる間もなくその場にうずくまり目を閉じた。しかし、頬の横をするどいかまいたちのような風が吹き抜けると、そのまま再び静寂が訪れた。リンドウがゆっくりと目を開けると、そこには赤焔の剣を構えリンドウを庇うように立ちはだかるミイの姿があった。
「大丈夫ですか?リンドウさん!」
「俺のことはいい!ミイは逃げるんだ!」
リンドウがそう叫ぶと、ミイは彼の前に立ちはだかりナイジェルを見据えながら首を横に振った。
ナイジェルは剣を下げると、ゆっくりとミイに向かって歩み寄ってきた。ミイは、剣を構えながらじりじりと歩み寄ってくるナイジェルの顔をじっと睨み付けていた。
すると、一瞬ミイの目の前からナイジェルの姿が消えた。次の瞬間、横から大きな衝撃を感じ、そのまま突き飛ばされるように地面に倒れ込んだ。
ミイは何が起こったのか分からず、腹部に広がる痛みに耐えながら上半身を起こして辺りを見回した。しかし激痛が走ると、意識が朦朧とし始め、目の間の光景が揺れるように乱れ始めた。うっすらと、地面に倒れ込んだミイを見下ろすように、ゆっくりと歩み寄ってくるナイジェルの姿が見えた。
「蟻粒だろうと、邪魔する者は排除する」
ナイジェルはそう呟くと、ミイに向けて剣を振り下ろした。ミイには、剣を構える余力さえ残っていなかった。しかし、諦めまいと剣を持つ手に力を込め、最後の力を振り絞って剣を振り上げようとした。すると、まるで重力を失ったかのように突然剣が軽くなりふわりと持ち上がり、そのままミイの手を擦り抜けていった。
剣はナイジェルの胴体を引き裂くようにミイの目の前で振り抜かれた。ミイは、朦朧とする意識の中でその光景を呆然と見つめていた。ナイジェルは、咄嗟に身を引き、そのまま数メートル後ろに飛び退いていた。
ミイが顔を上げると、うっすらと自分を見つめる翔の顔が見えた。ミイは安心したように微笑むと、そのまま気を失ってしまった。
「カケル!」
リンドウは思わず叫びながら、その姿をじっと見つめていた。赤い鎧を身に纏い赤い剣を手にした翔が、ミイの傍らで片膝を付きながら剣を振り抜いていた。彼の右腕の中には、ミイの身体がしっかりと抱きしめられて、ミイは呆然としたまま翔の横顔をじっと眺めていた。
「リンドウさん、ミイをお願いします」
翔は振り向きざまにそう声を掛けてきた。リンドウは、一瞬呆気にとられていたが、すぐに駆け寄り翔の腕からミイを受け取った。
「ナイジェル。俺が相手になる」
翔は両手でしっかりと赤焔の剣を持ち直すと、ナイジェルに向けて剣を構え、ゆっくりとした口調でそう言った。
翔は剣を横に持ち替えると、空気を裂くように横一直線に剣を振り抜いた。すると、まるで空間が切り裂かれるように歪み、それが光のようにナイジェルに向けて飛びかかった。ナイジェルは、真一文字に剣を振り抜き、それを受け止めた。しかし、その勢いで彼の身につけていたギドのマントが首元から千切れ風に乗ってふわりと地面に落ちた。
「赤の騎士か」
ナイジェルはそう呟くと、突然空に大きく飛び上がった。すると、閃黒の剣が見る見るうちに黒竜に姿を変え、ナイジェルはその上に飛び乗り翔を見下ろしていた。
「・・・お前と戦うにはまだ刻が早すぎる。またいずれ会おう」
ナイジェルがそう告げると、黒竜が甲高い鳴き声を上げ、大きく羽ばたきながら上空に舞い上がっていった。翔とリンドウは、それを見上げるようにしてただ見送っていた。
ナイジェルが去っていくと、翔はようやく剣を下ろし、リンドウの方を振り向いた。
「遅くなりました」
翔はそう告げると、リンドウに歩み寄りその腕からミイを受け取った。
「いや、そんなことはないさ。でもどうやって・・・」
「俺にもわかりません。でもきっとミイが・・・」
翔はそう言って、吐息を立てて眠るミイの顔を見た。とても穏やかな表情で、翔の腕の中でミイは眠っていた。
振り返ると、手を振りながら有紀とシュリが走ってくるのが見えた。翔はミイをしっかりと腕の中に抱きしめながら、手を挙げてそれに応えて見せた。
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