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PHASE 24 「赤焔の剣/後編」
身体にじわりと温もりが伝わってくる。ほてった頬に、ひとしずくの水が落ちると、翔はゆっくりと目を開けた。
随分と長いこと眠りについていたような気がした。体中に伝わる温もりのおかげで、それはとても爽やかな目覚めだった。こんなに落ち着いた気持ちで目覚めるのは、一体どれくらいぶりだろう。そんなことを思いながら、翔はおもむろに顔を上げた。
翔は自分が洞窟の地面に倒れたことを知ると、状況が把握できないまま朦朧とした意識で辺りを眺めていた。
上半身を持ち上げると、身体を包んでいた白い布が肩からひらりと垂れ落ちた。その肌触りは優しく、これほど心地よく目覚めることができたのも、その布のおかげのように思えた。
しかし、意識が回復してくると、次第に響くような頭痛が翔を襲ってきた。肩から首に掛けても、鈍い痛みが広がっている。傷みが広がるにつれ、意識も鮮明になりようやく先刻の出来事が脳裏に蘇ってきていた。
翔は赤竜に襲われ、そのまま橋から落ちたはずだった。落ちながらも、襲いかかってきた赤竜の頭にしがみつき、その額に剣を突き立てようとした。しかし、次の瞬間、竜のしっぽで顔を強く打ち付けられたのだ。記憶はそこで途切れていた。恐らくそのまま気を失ってしまったのだろう。
自分がどうしてこの場に倒れているのか、もといあの高さから落下した自分が何故助かったのか、まったく見当が付かなかった。あの谷は、底が見えないほど深かったはずだ。それにどうやらここはあの谷の底ではないようだった。
ミイはどうしただろうか。あの時、一瞬だけ触れたミイの指先の感覚がまだ残っているような気がして、翔は自分の手のひらを見つめた。もう少しだった。あの手を掴めていれば、きっとこれからの自分も変われていたような気がする。しかし、現実はそれを許さなかった。ミイの手が、見る見るうちに遠のいていくあの瞬間の映像が、妙にリアルに翔の脳裏に映し出されていた。
翔は手を下ろすと、膝を包んでいた白い布に目を向けた。誰かが、この布を自分に掛けてくれたのだろうか。翔は不思議に思い、その布をじっと見つめていた。そして、翔はあることに気がつくと、驚いてその布を取り上げて見つめた。
それは、間違いなくミイのローブだった。ミイがいつも身に纏っていた、あの純白のローブだ。こんな真っ白なローブが似合う女性は、世界中を探したってミイ以外にいないだろう。そう翔は思っていた。そのローブは、ミイの心そのものを表していたのだ。
翔はローブを手に取るとゆっくりと立ち上がり、洞窟の中を改めて見回した。このローブがあるということは、もしかしたらミイが助けてくれたのかも知れないと思ったのだ。
翔がいた場所はちょうど洞窟の袋小路になっていて、入り口の方から仄かな明かりが差していた。その先で明かりがゆらぐように揺れている。翔はローブを手にしたまま、ゆっくりと明かりの方へと向かって歩いた。
明かりの差す場所へ歩み出ると、そこは一変して広い空間になっていた。翔が落ちた谷間とは異なるようだが、天井はなく遙か上まで空間が広がっている。見上げると、まぶしい光が遙か上空から真っ直ぐ降り注いでいた。翔は呆気にとられた様子で、目を細めながら頭上に広がる空間を見上げていた。
すると、突然その光を遮るように大きな影が上空を横切った。降り注ぐ光を手のひらで防ぎながら、翔は突然現れたその影を目で追った。大きな影は翔の頭上を旋回すると、その大きさとは裏腹に優雅な動きで静かに地面に降り立った。
翔は光に照らされたその姿を見た。しかし、驚愕の余り声が出なかった。翔の目の前には、あの赤竜の姿があった。赤竜は鋭く光る赤い目で、じっと翔を見つめていた。
赤竜は物静かに一度翼を広げると、それを繕うように再び折りたたんだ。その姿を見て翔は我に返ると、咄嗟に剣を抜こうと腰に手を当てた。しかし、そこには剣はなかった。あたりを見回しても、どこにも持っていた剣は見あたらなかった。谷から落ちたときに、恐らく紛失してしまったのだろう。
翔は諦め、万事休すという思いで再び赤竜と目を合わせた。高鳴る鼓動が、全身を振るわせるように大きく聞こえた。赤竜は、微動だにせず静かに翔を見つめていた。
「ようやく気がついた?」
不意にそう話しかける声が聞こえた。翔は、驚いて辺りを見回したが、それらしき人影はどこにも見あたらなかった。すると、それに反応しかのように、赤竜がゆっくりと翔に一歩近づいてきた。
「どこを見てるんだい?僕だよ。僕が話してるんだよ」
その言葉に合わせて目の前の赤竜の口が動いている。翔は、その様子をただ呆気にとられて見つめていた。
「言葉を話す竜を見たことない?まあ、驚くのは当然だよね」
赤竜は首を垂れてそう言った。
「こっちも驚いたけどね。壊悪の谷に人が落ちてくるなんて滅多にないことだからさ。僕が気がつかなかったらあのまま谷底に真っ逆さまだったよ」
赤竜は、その容姿に似合わず妙に子供っぽい口調でそう言った。
「君が・・・俺を助けてくれたのかい?」
翔は恐る恐るそう尋ねた。赤竜は首をこくりと下げて、頷くような素振りを見せた。
「グレースに襲われたんだね」
赤竜は頷きながら、そう言った。
「グレース?」
「うん。壊悪の谷に住む、もう一匹の竜・・・」
赤竜は少し悲しげな口調でそう言った。
「じゃあ、君はやっぱりあの赤竜とは別の?」
「僕の名前はブルース。この光の洞窟に住む、もう一匹の竜」
ブルースは明るい口調でそう答えた。
「助けてくれてありがとう、ブルース」
その様子に翔は肩の力を抜くと、そう言って笑顔を見せた。
ブルースは頷くように首を大きく振ると、大きな翼を広げ再び頭上に飛び上がった。そして、大きな岩山の上に置かれていたリュックを口にくわえると、それを持って翔の前に再び降り立った。
「これ、あなたのでしょう?一緒に落ちてきたんだ」
翔はブルースがくわえたまま差し出したそのリュックを受け取った。
「・・・このローブは?」
翔は手に持っていたミイのローブを差し出し、そうブルースに尋ねた。
「それも一緒に落ちてきたんだよ。あなたのじゃなかった?」
「そうか・・・いや、それならいいんだ」
翔は答えた。
「僕、本当のところ人と話すのって初めてなんだ。いや、こうやって誰かと話すこと自体初めてかな。いつも、虫とかヘビとかトカゲとか・・・彼らに話しかけてはいるんだけど、誰も言葉をしゃべれないからさ。正直、あなたを見つけたとき、なんかすごいわくわくしたんだ。これから、何かが始まるのかも知れないって」
ブルースは上ずった声で、興奮した様子でそう言った。
「・・・グレースとは?あの赤竜も仲間じゃないのかい?」
「仲間・・・ではないかな。僕らは滅多に会うこともないし。もっとも、グレースは言葉がしゃべれないんだ。彼は、しゃべり方を忘れちゃったから・・・」
ブルースは悲しげな口調でそう答えた。恐らくあまり話題にされたくないことなのかもしれないと翔は思った。
「そうだ、僕の名前はしょ・・・いやカケルだ。よろしく、ブルース」
翔は話題を変えようと、そう言って手を差しだそうとした。しかし、どうやってもブルースとは握手できそうもないことに気がつくと、出した手を引っ込め頭を掻いた。
「そう、カケルか・・・いい名前だね」
ブルースはそんなことは気にしていないように、嬉しそうにそう言った。誰かと話が出来るのが、本当に嬉しかったのだろう。
「それで、カケルはやっぱり・・・赤焔の剣を探しに来たの?」
ブルースは恐る恐ると言った口調でそう尋ねてきた。
「赤焔の剣?ここには、赤焔の剣があるのかい?ブルースは、赤焔の剣のこと知ってるのかい?」
「うん・・・ちょっとね・・・」
「俺はどうしてもその赤焔の剣を手に入れて、仲間の元に戻らないといけない。知っていることがあったら、教えてくれないか?ブルース」
翔は真剣な眼差しでブルースにそう尋ねた。ブルースはしばらく沈黙していたが、おもむろに顔を持ち上げると頷くような素振りを見せ答えた。
「・・・うん、いいよ。たぶん、僕はずっとカケルのことを待ってた気がするんだ。だから、僕もカケルと一緒に行くよ」
「一緒に行くって・・・?」
「赤焔の剣のありかは僕が知ってる。そこまで、僕が案内してあげるよ」
「本当かい?」
ブルースは翔の問いに大きく頷いて見せた。
「本当はカケルを見つけたときから、そうしようって決めてたんだ。きっと、そうすべきなんだって」
「ありがとう、ブルース」
翔がそう言ってブルースに近寄ると、ブルースはじゃれるように首を翔の目の前にもたれてきた。翔がブルースの首筋を撫でると、ブルースは嬉しそうに顔を翔に押しつけてきた。
ブルースは顔を上げると大きな翼を開き、くるりと向きを変えて翔に背中を向けた。
「さっそく行こう!僕の背中に乗って、カケル」
翔は促されるがままに、ブルースの背中に登った。
「いい?」
その問いに翔が頷くと、ブルースは翼を更に大きく広げて何度かはばたく真似をした。それから、一度踏ん張るように腰を低くすると、そのまま力一杯上空に向かってジャンプした。その反動で、翔は危うく振り落とされそうになってしまった。
「ちゃんと捕まってて!」
ブルースはそう言うと、スピードを上げ遙か上空へ続く谷間をぐんぐんと登っていった。
「ブルース!」
翔は必死にブルースの背中にしがみつきながら、大声でそうブルースを呼んだ。
「なに?」
「赤焔の剣の前に、行きたい場所があるんだ」
「どこ?」
「俺が落ちてきたあの場所・・・壊悪の谷だ。そこに仲間がいるはずなんだ」
翔は手に握りしめるミイのローブを見つめながらそう言った。
「・・・大切な人なんだね」
翔はその言葉を噛みしめるようにして、ゆっくり頷いて見せた。
ブルースは空中を大きく旋回すると、翼を大きく羽ばたきながら空中に止まった。
「行こう!壊悪の谷へ!」
ブルースはそう叫ぶと、翔たちを取り囲む岩壁の裂け目に向かって勢いよく飛び込んだ。そして、狭い裂け目に合わせ、器用に体勢を左右に傾けながら、裂け目の中を猛スピードで進んでいった。翔は、すぐ真横に迫る壁にぶつからないよう体勢を低く下げながら、ブルースの背中にしがみついていた。
左右に折れ曲がりながら続く裂け目の中を進むと、しばらくして広い空間に飛び出した。そこは、ブルースがいた光の洞窟に似て深い谷になっていたが、光の洞窟と違いうっすらとした闇に包まれていた。やはり谷は天井があるのかないのかもわからないほど永遠と続いていたが、少なくとも光の洞窟のようなまばゆい明かりはなく、上空は深い闇に包まれていた。
「壊悪の谷だよ」
ブルースは翼を羽ばたかせながら空中に止まり、翔にそう言った。
「上だ。谷を横断する岩の橋があった。もう崩れてしまったけど、そこで仲間とはぐれてしまったんだ」
「うん、わかった」
ブルースはそう答えると、ゆっくりと上空に向かって上昇し始めた。
「実はこれ以上先は僕行ったことがないんだ。壊悪の谷は、僕には暗すぎるから・・・」
ブルースはそう呟きながらゆっくりと進んだ。翔は目を凝らして上空を見ていたが、そこには深い闇しか見えなかった。
しかし、しばらく進むと崩れて露わになった階段が姿を現した。翔はすでに崩れ去った壁を見回し、ミイが立っていた扉のある岩場を探した。
「あそこだ!あの扉のあるところだ!」
翔はその扉を指さしてブルースにそう言った。ブルースがゆっくりとその扉へ近づくと、翔はブルースの背中からその岩場へと飛び降りた。
ミイの姿はどこにもなかった。翔は試しに扉を開けようとしてみたが、あの時と同じようにびくともせず扉は閉じられたままだった。
「開かない。ならミイはいったいどこへ・・・」
「もしかしたらグレースが連れて行ったのかも知れない。・・・たぶんそうだと思う」
ブルースが翔の背後で羽ばたきながら静かに言った。
「僕がカケルを選んだように、グレースはその人を選んだんだ」
ブルースは呟くように続けてそう言った。
「どういうことだい?」
「・・・赤焔の剣のある場所に行けばわかるよ。その人はグレースと一緒にきっとそこにいる」
翔が尋ねると、ブルースは言葉少なくそう言った。翔はその言葉に無言で頷くしかなかった。
「行くんだよね、赤焔の剣を手に入れに。カケルには必要なんだよね」
ブルースは念を押すようにそう尋ねてきた。なぜそんなことを尋ねてくるのか翔にはわからなかったが、翔はその問いに頷いて見せた。
「その為にここに来たんだ。それに、そこにミイがいるなら、なおさらそこに行かなくちゃいけない。彼女を助けなきゃ」
ブルースはそう告げる翔をじっと見つめていた。
「うん、わかった。じゃあ、行こう」
ブルースはそう答えると、翔に背中を向け乗るように促した。翔が背中に飛び乗るのを確認すると、ブルースは一度大きく旋回し、勢いよく谷の底に向かって下降し始めた。
ブルースは元々来た裂け目も通り越し、そのままひたすら下降し続けた。谷はまるで永遠と続いているのではないと思えるほど深かった。しかし、しばらくすると突然ブルースは身体を反転させ、先ほどと同じように岩壁に開いた裂け目へと身体を滑り込ませた。よく見ると、すぐそこには谷の底らしき地面が見えていた。
「ここから先は、僕も言い伝えでしか聞いたことがないんだ。もっとも誰から聞いたのかも覚えてないんだけど・・・。たぶん、生まれたときから知ってたのかも知れない」
ブルースはそう言いながらゆっくりと裂け目の中を進んだ。先ほどの裂け目に比べると幅が広く、周りを観察しながら進める余裕もあった。ブルースも初めて通る赤焔の剣に通じる道を眺めながら進んでいるようだった。
ブルースはしばらく進むと突然辺りを見回すように旋回し、そのままその場に着地した。
「ここだよ」
ブルースはそう言うと身体を屈めた。翔はそれに頷くと、ブルースの背中から飛び降り、辺りを見回した。
目の前には、ブルースがやっと通れるほどの穴が口を開けていた。それまでの光景とは違い、その入り口は白く光る大理石でできており、まるで神殿のような趣をしていた。そのおかげか中はそれ程暗そうではなかったが、入り口からは中の様子はあまりよく見えなかった。
「行こう」
翔の言葉を合図に、二人はゆっくりとその中へと入っていった。翔が先を歩き、ブルースは身を屈めるようにして翔の後をついて歩いていた。
通路は数十メートルほど続き、そのまま広い空間へとつながっていた。二人はその空間に辿り着くと、辺りを見回しグレース達の姿を探した。
天井からは淡い光が差し、広間一面を明るく照らしていた。頭上には、丸い部屋をそのまま天まで繋げたような空間が広がっていた。壁は通路と同じく白く光る大理石で覆われていた。遙か天井の光がどのようなものなのか、あまりにも高すぎて分からなかったが、その大理石の表面が光を反射して、この地中深くまで光を導いているようだった。
「ここに赤焔の剣があるのかい?」
翔は一通り辺りを見回した後、後ろに立つブルースを振り返りそう尋ねてみた。
「ここは、試練の間だよ」
ブルースは振り向きもせず、広間の奥をじっと見つめながらそう答えた。翔も再び広間の方に向き直ると、ブルースが見つめる先にじっと目を凝らしてみた。
「ここは、僕らが赤焔の剣の力を得る資格があるかどうかを試す、試練の場なんだ」
「僕らが?」
翔はそう尋ねながら、じっと見つめていた先に動く影があることにようやく気がついた。そして、その影は翔たちが気がついたことを悟ると、ゆっくりと光の差す方へと歩み出てきた。
「ミイ!」
その姿を確認すると同時に、翔はそう叫んだ。ミイは、ゆっくりと明るい場所に歩み出てくると、翔の顔を見てうっすらと疲れたような乾いた笑みを浮かべていた。見たところ、グレースらしき赤竜の姿はどこにもなかった。翔は、それに安心すると、ミイの方へと走り寄った。
「ミイ、無事だったんだね!」
「カケル、気をつけて!」
翔がミイの元に駆け寄りあと2散歩というところまで近づいたとき、自分の言葉と重なるように突然ブルースの叫び声が聞こえ、その場に立ち止まった。すると、突然目の前にいたミイが手にした赤い剣を振りかざし、翔に目掛けて振り下ろしてきた。
「ミ、ミイ・・・!?」
翔はブルースの言葉で立ち止まったおかげで、ミイが振り下ろした剣を間一髪のところでかわし、そのまま後ろに飛び去るように退いた。そして、剣を振り下ろしたまま険しい顔で睨み付けてくるミイの目をじっと見つめた。そこには、憎しみ以外の感情を微塵も感じさせない、冷酷な戦士の顔があった。
ミイは、冷たい視線で翔を一瞥した後、再び襲いかかるように剣を振りかざし飛びかかってきた。翔は、ミイのその姿に目を奪われて、身体を動かすことができなかった。ただ、憎しみに溢れたその眼差しを見つめ、呆然とすることしかできなかった。
ミイの剣が翔の身体を射止めようとした瞬間、ブルースが翔の目の前に立ちはだかり、大きく身体を回して飛びかかるミイを尻尾ではねとばした。意表を突かれたミイは、そのまま地面に叩きつけられるように、広間の奥へと飛ばされていた。
「ミイ!」
翔は驚き、突き飛ばされたミイの姿に目を向け走り寄ろうとした。しかし、目の前にブルースが立ちはだかり、駆け寄ろうとする翔を制した。
「カケル。彼女はグレースに支配されているんだ。今の彼女は、カケルの知ってる彼女じゃないんだよ」
ブルースは悲しそうにそう言うとミイの方振り返り、ゆっくりと立ち上がるその姿を確認すると、再び翔に視線を戻し語りかけるように呟いた。
「これが赤焔の剣を手にする者の試練なんだよ。他に選択の余地はないんだ」
ブルースがそう告げると、その身体が淡い光に包まれ始めた。そして、ブルースは見る見るうちに大きな赤い剣に姿を変え、翔の手の元にゆっくりと降り立った。翔は呆気にとられた様子で、手に収まった赤い剣を見つめていた。
「僕自身が赤焔の剣なんだ。そしてグレースも。彼は僕の闇の部分であり、僕は僕自身の光の部分なんだ。僕らは元々一つだった。でも、長い時間の中で、僕らは二つの道に分かれてしまった。カケルが赤焔の剣の力を手に入れたいのなら、グレースを・・・闇の赤焔の剣を持つ彼女を倒して、その力を取り戻すしかないんだ。それが、カケルと・・・そして僕に与えられた試練なんだ」
その声は、まるで手を通って耳元に響くように聞こえていた。赤焔の剣は淡い光を放ちながら、語りかけるように翔にそう告げた。
「そ、それって・・・」
手のひらに、赤焔の剣の重みがぐっと押し寄せてきていた。翔は思わず剣先を下げると、状況を飲み込めない様子で独り言のようにそう呟いた。
突然、背後で大きな叫び声がしたかと思うと、ミイが再び翔に向かって剣を振り下ろしてきた。翔は間一髪のところで剣でそれを受け止めると、歯を食いしばって剣を振り抜こうとするミイの顔を信じられない思いで見つめていた。
「ミイ・・・どうしたって言うんだ?」
翔にはその現実を受け止めることができずにいた。憎しみに溢れたミイの顔を目の前にしながらも、それでもなお現実を受け止めることができなかった。誰よりも優しさと温もりに満ちていたミイに、こんな憎しみの表情ができるなど、到底信じられなかったのだ。
翔の剣を受け止めている腕の力が抜けた。その瞬間をミイは見逃さず、一気に剣を振り抜いた。翔は勢いに押されるように抑えていた剣を振り払われ、ミイの剣が翔の右肩に食い込むのがわかった。
「カケル!戦うんだ!戦わなければ、死ぬのはこっちなんだよ!」
頭の中にそう叫ぶブルースの声が聞こえた。翔は、なんとかミイの剣を払いのけると、倒れ込むように後方に退き剣を構えた。
肩からゆっくりと鮮血が腕をつたって流れ出てきていた。身を護る鎧のおかげかそれほど深い傷ではなさそうだったが、肩にずしりと響くような傷みが広がった。
ミイは間髪入れずに倒れ込んだ翔に向かったまた剣を振り下ろしてきた。翔は、咄嗟に左手に剣を持ち替えると、ミイの剣を払いのけ、そのまま彼女の足元目掛けて剣を振り抜いた。
しかし、翔の振り抜いた剣はミイの足の寸分手前で止まっていた。彼女は咄嗟にその剣を足で蹴り上げると、体勢を崩した翔に剣を突き立てた。翔は、ミイが突き出した剣を右手で掴むようにして受け止め、そのまま彼女の足元をすくうように軽く蹴り上げた。
ミイはそのまま体勢を崩しその場に倒れ込んだ。翔の右手のひらからは、真っ赤な鮮血がゆっくりと垂れ落ちていた。しかし翔は間髪を入れず、剣を持ち直しそのまま倒れたミイの額に向けて剣を突き刺そうとした。しかし、やはり剣は彼女の額の寸分手間でその動きを止めた。ミイは薄ら笑いを浮かべると、倒れた体勢のまま翔の腹を蹴り上げ、そのまま転がるようにその場から退き体勢を整え、体当たりするようにそのまま飛びかかってきた。
ミイに腹を蹴り上げられ体勢を崩していた翔は、そのままミイの体当たりをまともに受けた。いつものミイでは信じられないような力で突き飛ばされ、翔は地面を転がった。
ミイはそのまま飛び上がり、翔の身体に覆い被さるような姿勢で翔の上に飛び乗ると、翔の顔に向けて剣を突き刺してきた。翔は寸分のところでミイの剣をかわすと、おもいっきり叩きつけるようにミイの頭を蹴ろうとした。しかし、かつてのミイのあの優しい笑顔が脳裏によぎると、またもや翔の足は途中で動きを止め、ミイの身体を捉えることはできなかった。
ミイは翔の動きが一瞬止まったのを見逃さず、地面に突き刺さった剣を抜き、もう一度翔の顔に向けて剣を突き刺した。翔は、我に返るとその剣を鮮血が滲んだ手でもう一度掴むようにして受け止め、そのまま身体を入れ替えるように一回転すると彼女の上に跨った。そして、無我夢中で掴んだ剣の刃を彼女の喉元に向けて押し当てた。
「カケル!」
脳裏にブルースの声が木霊するのが分かった。それとともに、ミイが自分の名を呼ぶ声が木霊したような気がした。
――ありがとう。カケルくん。
ミイははにかむような笑顔でそう答えていた。これからもずっと一緒にいると約束したとき、ミイはそう嬉しそうに答えていた。自分は、彼女とそう約束したはずだ。
思えば、集合場所で初めて会ったのもミイだった。お互い緊張した顔で、的を射ない会話をしたことを思い出す。そのときも、はにかみながらもミイは優しい笑顔で微笑んでいた。
本当はその時から彼女の気持ちになんとなく気がついていた。しかし、自分にはそれを受け止めるほどの自信も力量もなかった。それは、彼女が常に自分に対して「カケル」ではなく「相田翔」として視線を向けていたからだ。彼女は、騎士の「カケル」でもない、他の誰でもない、相田翔という人間を見ていてくれたことの証だった。
自分は、自分を変えるためにこのオフライン・ゲームに参加した。しかし、本当はそうではなかったのだ。自分が求めていたのは、変わることなどではなかったのだ。
自分はそれをずっと恐れていた。ありのままの自分自身を望むことを、ありのままの自分自身を望まれることを、ずっと恐れていた。でも、本当はそんな人を誰よりも必要としていたのは、自分自身だったのではないか。
翔は剣の掴む手をゆるめると、ゆっくりと身体を起こした。翔の手のひらから垂れ落ちた血が、下にいたミイの頬に落ち、涙のように頬をつたって流れていた。
ミイは翔が力を抜いたことに気づくと、咄嗟に上にいた翔の身体を払いのけ、転がりながら後ずさり翔に向けて剣を構えた。そして、剣先を翔に向けて、翔の身体をなぞるように剣をゆっくりと動かしていた。ミイは、頬に付いた翔の血を気にすることもなく、暗く憎しみに満ちた眼差しで翔を睨み付けていた。
翔はその場にゆっくりと立ち上がると、ふっと肩の力を抜き剣を下げ、ミイを見つめた。肩から流れる血が、腕から剣をつたって流れ、地面まで一本の筋となり流れ落ちていた。
「ブルース、やっぱり俺にはできないよ。彼女は大切な人なんだ・・・。グレースが君の一部だったように、彼女も俺の一部みたいなものなんだ。自分の一部を消すことなんて、俺にはできない。そのすべてを含めて、それが俺なんだから」
翔の言葉に、ブルースは何も語りかけてこようとはしなかった。翔は、剣を構えるミイにゆっくりと歩み寄った。ミイは、警戒するように剣先を翔の額に向け構えた。
翔は覚悟したように躊躇なくそのままミイの前に踏み込んだ。ミイは、相変わらず憎しみに淀んだ眼差しで翔を見つめていた。しかし、何故かミイは身体が固まっているかのように剣を構えたまま動こうとしなかった。
翔は自分の額に向けられたミイの剣をゆっくりと手で避けると、そのままミイの前まで歩み寄り、そっとその頬に手を当て、翔の血で濡れた頬をそっと拭った。ミイは、やはり身体を動かすことができないかのように、剣を構えたままその場に固まっていた。
「カケル!」
脳裏にブルースの叫ぶ声が響いた。それと同時に、腹にずしりと何かがのし掛かるような感覚が広がった。
「カケル!」
もう一度、脳裏にブルースの悲痛な叫び声が聞こえていた。しかし、前に比べると少し遠くに聞こえた。
「ごめんよ、ブルース。こうするしか、なかったんだよ」
翔は流れ出る鮮血を抑えるように腹に手を当てながら、そう呟いた。翔の横腹には、ミイの持っていた剣が突き刺さり、血に濡れた剣先がそのまま背中に抜けて姿を現していた。
「なんで、カケル!?」
「分かったんだ・・・本当はいろんな自分を受け入れて、自分を認めることが、自分自身に必要なことなんだって。必要なのは今の自分と決別することじゃない。受け入れることなんだよ、ブルース」
翔はそう言うと、再びミイの頬に手を当て、彼女の目を見つめた。ミイは、呆然とした表情でじっと翔を見つめていた。
「ミイ、今なら言えると思うんだ・・・。俺は・・・ありのままを受け入れてくれた君が・・・」
血を拭ったミイの頬の上に、透き通った透明な涙が流れ落ちた。その涙は、翔の手で止まり、汚れた指を洗い流すようにとめどなく流れていた。
「私も」
ミイは答えた。目に溢れるほどの涙を溜めながら、悲しそうな微笑みを浮かべ、ミイはそう答えた。
翔は赤焔の剣から手を放し、そのまま包み込むようにミイを抱きしめた。ミイも握りしめていた剣から手を放し、翔の胸に顔を埋めるようにして翔を抱きしめた。翔の横腹に突き刺さっていた剣は、力を失ったように抜け落ちその場に音を立てて落ちた。
「カケルくん、ごめんなさい・・・わたし・・・わたし・・・」
「いいんだ、もう。君は勝ったんだよ」
翔はそう言い、持っていた白いローブをミイの身体に掛け、最後の力を振り絞ってもう一度ミイを強く抱きしめた。
「カケル!」
脳裏にブルースの叫ぶ声が響いた。それと同時に、背中にずしりと何かがのし掛かるような感覚が広がった。
翔は驚いて振り返ると、そこには赤竜に姿を変えたブルースが、翔の背中にもたれ掛かるように立っていた。そして、その背中には、ミイの持っていた剣が突き刺さっているのが見えた。
「ブルース!」
翔はそのまま崩れ落ちるブルースの首を支えながら叫んだ。
「これが運命なら、僕は受け入れるよ。大切なのは、自分自身の全てを受け入れることなんだよね、カケル」
ブルースの背中に突き刺さっている剣が宙に浮かび、ゆっくりと赤竜の姿に戻っていくのが見えた。ブルースはその姿を見上げながら、最後の力を振り絞るように立ち上がり、まるで迎え入れるかのように翼を広げた。
「ごめんよ、グレース。悪いのは、僕だったんだ。本当は僕なのに、そんな僕を嫌ってた僕が一番いけなかったんだね。本当にごめんよ、グレース」
グレースは宙で羽ばたきながら大きな咆哮をあげ、そのまま飛び上がった。その姿は、まるで燃えているかのように赤く輝いていた。グレースは空中を旋回し、再び咆哮を上げると、ブルースに向かって一直線に飛びかかってきた。
「ブルース!」
目の前で飛び散るような赤い閃光が走り、翔たちは思わず目を瞑った。そして、次の瞬間身体が引き裂かれるような衝撃に襲われ、翔は自分の身体が中に投げ出されるのが分かった。翔は即座に吹き飛ばされそうになるミイの腕を掴み、自分の腕の中へ引き寄せた。この手だけは決して放すまいと、翔は力を込めて彼女の手を握りしめていた。
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