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PHASE 18 「旅立ちの時」  

 暗い路地の角に、翔は立っていた。

 翔はそこから、仄かに明かりが灯ったある家の門をじっと見つめていた。

 あれは、中学生の頃だったと思う。父の姿を見たのは、あれが最初で最後のことだった。

 路地の片隅から見えた窓明かりの先には、父の新しい家族がいる。それは、自分にはまぶしすぎる世界だった。恐らく、自分のような人間が望むのもはばかれるくらい神聖なものなのだと思っていた。

 その明かりの中から、父は突然ひとりの少年と共に姿を現した。翔はどきどきしながらも、その姿を路地の陰からじっと見つめていた。

 父と少年は並んで歩き出し、翔の目の前を通り過ぎていった。翔は自分の姿を隠すことも忘れ、じっと初めてみる父の顔を見つめていた。

 父は一度も翔を振り返らなかった。しかし、父は自分の存在に気がついていると、翔はそう確信していた。父は、翔の存在に気がつきながら――路地の陰から見つめる少年が自分の息子であることを知りながら、一度も振り返ることなく少年と歩き去っていった。

 翔は父が歩き去った後、再び明かりが灯る父の家に目を向けた。そこには、父の守るべき世界がある。父は無言のまま、翔にそれを語りかけていたような気がした。

 翔は父に対する憎しみや悲しみは感じなかった。むしろ、父は自分を忘れてはいないことに喜びを覚えた。そして家族を守ろうとする父の威厳を肌で感じ、素直に誇らしいと思った。自分の父親ではなくても、それは翔が想像していた理想の父親の姿そのままだったからだ。

 翔は、朦朧とする意識の中、なぜ今頃そんな事を思い出すのだろうと不思議に思った。

 あの時、前だけを見つめ翔の前を歩き去っていった父。それは、自分が目指そうとする姿なのだろうか。自分が同じようにかつての友に見つめられたとき、一番大切なものを守るために、父のように振り向くことなく歩き去ることができるのだろうか・・・。

「カケルくん!」

 そう呼びかける声に翔は少しずつ意識を取り戻していった。目の前には、うっすらと灯る明かりが見えた。

「ミイ・・・?」

 翔はゆっくりと身体を起こし、傍らで自分の名を呼ぶミイの顔を見つめた。

「ここは・・・?」

 翔は朦朧とする意識の中、あたりを見まわしながらそう尋ねた。目の前には、あの地下施設の真っ白な部屋が広がっていた。

「分からないけど・・・彼女が・・・」

 ミイがはそう答えると傍らに立つシュリに目を向けた。

「これは・・・」

 状況を把握できないまま、にわかに先ほどの出来事が脳裏に蘇ってくる。

「マサハルは・・・!」

 翔は思い出したように立ち上がるとそう叫んだ。

「残念ながら、わたしに彼を止めるほどの力はありません・・・」

 シュリは申し訳なさそうにそう答えた。

「何がマサハルくんに・・・」

 ミイが呟くようにそう言った。

 翔の脳裏に、碧いローブに身を包んだマサハルの姿が蘇る。あれは、マサハルであってマサハルではなかった。あの姿からは、彼の感情の断片すら感じられなかった。冷酷なまでに機械的に、彼の掲げた理想を叶えるために動く亡骸でしかなかった。

 目の前で消えていったフィーナの最後の笑顔は、脳裏にまだ映っている。沸き上がってくるのは、マサハルに対する悲しみともとれる怒りだ。これほどまでに、誰かに対するやりきれない怒りを持ったことは未だかつてなかっただろう。そこには、ありきたりな道徳や理性など存在しない。神に対して皮肉な運命を呪う気にもなれない。あるのは、絶対的な悲しみと怒りだけだ。

 翔は抑えきれない怒りを鎮めるかのように、固く拳を握り立ち尽くしていた。目頭は溢れんばかりの涙で溜まり、堪えきれなくなった涙は滴となって頬をつたい流れ落ちた。

 翔は歩き出そうとする素振りを見せた。しかし、それを予期していたかのように、ミイは翔の腕にしがみついた。

「俺は・・・彼女を守れなかった」

 翔に返す言葉もなく、ミイは無言のまま彼の腕にしがみつき涙を流していた。

「この世界は狂ってるんだ。ナイジェルもマサハルも・・・この俺も。憎しみからは何も生まれないことは分かってる。でも、どうしようもないことだってあるんだ」

 腕をつたって感じるミイの温もりは、翔にはどこか懐かしく感じられた。しかし、それは乾ききった翔の心に響いてくることはなかった。ずっと昔の、もう取り戻すことのできない温もりのように感じられた。今はもう、自分には荒れ果てた荒野しか残されていない。そこに見えるのは、すべてを捨てて死に神と化したマサハルの姿だ。

「行かなくちゃ。たとえ敵わないと分かっていても・・・」

「駄目よ、そんなこと・・・もう・・・」

 ミイは押し殺すようにそう呟いた。

「わたしだって、これ以上大切な人を失いたくない・・・」

「もうフィーナは戻ってこないんだ!他にどうしろって言うんだ!彼女は・・・ただ生きたかっただけなんだ!」

 翔はミイの腕を振り払い、憤った声でそう叫んだ。ミイは悲しそうな眼差しで翔の顔を見上げていた。

「ひとつだけ、方法があります」

 シュリの静かな言葉が、沈黙した空間に響いた。ミイは困惑した表情でシュリを見ていた。

「方法?」

「はい。フィーナさんを取り戻す方法です」

 翔の問いにシュリはそう答える。その答えに、翔も困惑の表情を浮かべた。

「そんなこと・・・どうやって?」

 ミイがシュリにそう尋ねると、シュリは頷いて見せた。

「それには、まず今この世界で・・・アルダリスシステムで何が起こっているのかを、説明する必要がありますね」

 シュリはそう言うと、確認するように翔を見つめて話を続けた。

「アルダリスシステムは、そもそも仮想現実を実体化することができるシミュレーションシステムです」

「シミュレーションシステム?」

「はい。サイバネティックスを基本とした制御システムです」

「サイバネティックスって・・・SF小説に良く出てくるアンドロイドとか人工知能とかのあれ?」

 ミイの問いにシュリは首を振って応える。

「近い物ではありますが、根本的には違います。人工知能はアルダリスシステムで仮想現実をシミュレートするための重要な要素として取り入れられていますが、それは部分的な機能のひとつでしかありません。アリダリスシステムは、機械的な物体を動物としてシミュレートするシステムではなく、空間そのものをシミュレートすることを目的とした制御システムなんです」

「つまり、機械的な物体だけでなく、人間そのものもアルダリスシステムでシミュレートされていると・・・?」

 翔が確認するように尋ねると、シュリは深く頷いて見せた。

 それは、かねてから翔も考えていたことだった。ここに来てから、何かが少しずつ変わってきている。単純に不安や混乱がもたらす変化とはまた違ったものだ。何かに操られるかのように、徐々に僕らの心は引き裂かれていく。何気ない日常が支配していたほんの数週間前の記憶が、遠い昔の幻のように感じられる。

 何かが間違っている、漠然とした思いがずっと翔を支配していた。何が間違っているだろう。間違っているのは、自分の記憶なのか、この世界か。誰もが気がつかないまま、すべてが少しずつ間違った方向へと進んでいるような気がしていた。

「アルダリスシステムが、僕らを狂わせてる」

 翔は突然呟くようにそう言った。

「そのとおりです」

 シュリは、そう言いながら翔を見つめた。

「アルダリスシステムのもたらす現実は、現実であって現実でないのです。いわば、今ある現実はアルダリスシステムにより無数にシミュレートされた『現実』のひとつに過ぎないのです。だからこそ、アルダリスシステムによってもたらされた現実は変えることもできると・・・そう考えられます」

「つまり過去は変えられると・・・?」

「厳密に言えば、時間を遡り過去を変えることはできません。しかし、アルダリスシステムが制御する過去の『現実』を変えてしまうことはできるはずです」

「本当にそんなことが・・・どうすれば?」

 翔は降って湧いたような彼女の机上の理論に疑問を持ちながらも、藁にもすがる思いでそう尋ねた。シュリは、一息つくように翔から視線を逸らすと、ガラス窓の向こうに佇む巨大な機械を見つめた。

 翔が返答を待っていると、シュリはゆっくりと振り返り再び翔を見つめた。

「アルダリスシステムは、状況を把握し学び成長するシステムです。しかし、この成長はわたし達が本来望んだものではありません。これはむしろ、成長というより暴走と言った方がよいかも知れません。それを食い止める為に、あなたの力が必要なのです」

「わたし達が本来望んだものではない・・・?それはどういう意味なの?」

 突然そう尋ねる有紀の声が聞こえた。翔とミイは驚いて振り返ると、扉から歩み寄る有紀とリンドウの姿があった。

「わたくしがお二人もお呼びしました」

 シュリは困惑する翔とミイにそう告げると、リンドウは翔に歩み寄り軽く肩を叩いた。

 有紀は先ほどの問いの答えを求めるようにシュリを見つめていた。シュリは頷いて見せ再び口を開いた。

「アルダリスシステムは、元々一つのマスターと呼ばれる人工知能から成り立っていました。しかし、学習成長型システムとして、一つのマスターしか持たないシステムの貧弱性に気がついた技術者は、3つのブレインと呼ばれる人工知能を追加することにしました。これは、一つは各ブレイン間の競争効果をもたらし学習効率を上げること、もう一つは各ブレインの暴走を防ぐ目的がありました。通常三つのブレインは、世界観的な矛盾が発生しないよう、相互的にそれぞれの監視と抑制を行っているのです。しかし、例の事故後から、他ブレインとの通信が絶たれてしまったのです」

「つまりブレインの内の一つが暴走したと?」

 有紀が確認するようにそう言うと、シュリはそれに頷いて答えた。

「しかし、わたしの予想では事は更に複雑です。通常、ブレインは相互の通信を強制的に拒否することはできません。たとえブレインの一つが暴走したとしても、自ら通信を遮断することはできないはずなのです。それが可能なのは、恐らくマスターだけです」

「そのマスターというのは、ブレインとはどう違うの?」

「マスターはアルダリスシステムの核となる存在です。ブレインは、それを制御するために追加されたセクターに過ぎません。ブレインは三つ揃って初めて、マスターと対等なのです。そのブレインが、三つ離ればなれになってしまった・・・」

「つまり、マスターが暴走を起こしたと?」

 リンドウが確認するようにシュリに問いかける。

「論理的に言えば、マスターは決して暴走することはありません。マスターはブレインと決定的に違うところが一つだけあります。それは・・・マスターは人間で言う感情という仕組みを持たないことです。その分、マスターの学習能力には限度がありますが、決して利己的な判断・・・つまり暴走することもないのです。もしマスターが暴走するとしたら、それは意図的なものという他ないと思います」

「それは、つまり意図的に誰かがマスターが暴走するように仕組んだと・・・」

「そういうことです」

 翔の問いに、シュリは頷いて見せた。

「じゃあ、あの地震も単なる地震ではなく、人為的なものだったってこと?」

 それまでずっと黙っていたミイが、シュリにそう尋ねた。

「そこまではわかりません。今のアルダリスシステムには、まだそこまでの自然現象を制御する能力はありませんから。しかし、発生したタイミングから言って、その他の人為的要素によって引き起こされた可能性はあります」

 翔は何と言って良いか分からなかった。シュリの言葉が正しければ、誰かの企みによって自分たちはこのオフライン・ゲーム会場に閉じこめられ、佐伯は命を落とし、マサハルは己を捨てて殺人鬼と化したと言うことなのか。誰が何のために、そのようなことをする必要があるというのだろう。

「もしかしたら、わたし達は初めからモルモットだったのかも知れない・・・。アルダリスシステムは、単なるゲームに利用するために開発されたものではないんですもの。わかるでしょう?カケルくんのその力も、マサハルくんの力も、すべてアルダリスシステムがもたらしたものだわ。アルダリスシステムは、わたし達が思っている以上に画期的なシステムであり、そして人類の驚異となり得るシステムなのよ」

 有紀が神妙な面持ちで翔にそう告げた。

「何が目的なのかは、わたしにも分かりません。しかし、わたし達の意図しない方向にアルダリスシステムが成長し始めていることは確かです」

 シュリは沈黙する一同にそう言った。

「一応筋は通ってるわね。過去を変える・・・でも本当にそんな事が可能なのかしら」

 有紀は翔に意見を求めるように視線を合わせそう言った。

「分かりません。でも可能性があるのなら、俺は彼女の言葉を信じます」

「俺もカケルと同意見だ」

 リンドウも頷きながらそう答えた。有紀は予想していたとおりの返答だと言うように頷いてみせると、再びシュリに視線を戻した。

「でも、あなたにもうひとつ聞きたいことがあるわ。ねえ、どうしてあなたはそんなに詳しいの?・・・あなたはいったい何者なの?」

 誰もが思っていながら口にできずにいた疑問を、有紀は代表するかのようにシュリに尋ねた。

「わたしは・・・シュリ、アルダリスシステムのブレインです」

 翔たちはその言葉に彼女の姿を目を凝らしてもう一度見た。

「君が・・・ブレイン?」

「ええ。だからこそあなたに助けてもらいたいのです。他の二つのブレインを探すために。本当の現実を取り返すために。暴走したマスターを食い止めるには、三つのブレインが協力する必要があるのです」

「マスターの暴走を食い止めることができれば、死んでいった人たちも元に戻るんだね?」

「ええ。わたし達に与えられたキーワードは一つだけ。それがブルシェアです」

 シュリは翔の前に跪き手を差し出して、翔の顔を見上げながらそう答えた。

「でも、なぜ俺に・・・?」

 翔は頷き、シュリの手を取りながらもそう尋ねた。

「わたしが、あなたを選んだからです」

 シュリは翔の手に導かれるように立ち上がり、真っ直ぐ翔の目を見つめてそう言った。

「行こう、ブルシェアに」

 翔は決心したように、皆の顔を見まわし、そう答えた。

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