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PHASE 15 「心の隙間」
いつからだっただろう。人の顔色を伺いながら話をするようになったのは。
ミイは、サクラの顔を見ながらそう思っていた。でも、今度ばかりはどんなに顔色を伺っても彼女にかける言葉は浮かんでこなかった。
サクラが襲われた事件があってから、既に数日が過ぎていた。ここに来て、いったいどれくらいの日が過ぎたのだろう。それすらも分からなくなってしまうほど、この世界の日常が自分たちを支配し始めていることを、ミイは改めて実感していた。
ミイはあの事件があってから、なるべくサクラの側にいるように努めてきた。それがサクラにとって良いことなのかどうかは分からなかったが、ミイはそれが自分の使命であるかのように振る舞ってきた。今の自分にできること、それがミイにとって全てだった。
「ミイさん、ありがとう。おいしかったわ」
サクラはそう微笑みながら、食事プレートをキャスターの上に戻した。
「お腹がすいたらいつでも言ってください。遠慮しないでくださいね」
ミイはそう言い、サクラに微笑み返した。
正直、サクラの顔を見るのは辛かった。傍目には、サクラは少しずつ元気になっているように見えた。笑顔を見せる回数も増えていたし、ときどき冗談も返すようになった。しかし、サクラが本当の意味で彼女の笑顔を取り戻すことはなかった。いくら側にいようとも、自分ではどうしようもないことを、ミイも分かっていた。
マル太はあの事件以降、未だ行方が掴めていなかった。というよりも、掴もうとすらしていなかったというのが正しいかも知れない。富野間はマル太がすでに街から逃亡したと決めつけていたし、自分たちも勝手にこの件について調べることは富野間に禁止されていたからだ。富野間にしてみたら、あまりことを公にしたくないというのが本音なのだろう。
「ねえ、ミイさん・・・」
サクラが遠慮がちにそう呟いた。
「カケルくん・・・どうしてる?」
「最近、わたしも会ってないんです。でも・・・元気だと思います」
会っていないのは本当だった。そもそも、彼が現在どこにいるかさえミイは知らなかった。サクラの事件があってすぐ、翔は姿をくらましてしまったからだ。
彼は、サクラの一件を自分の責任と感じているに違いなかった。あのとき、マサハルに怒号され泣きながら震える女性に詰責されたときの翔の顔が脳裏に浮かぶ。その事実は、翔にとって計りようのない衝撃だったと思う。もちろん、ミイは翔の責任ではないと思っていたが、本人にとってはそうは思えないだろう。もしミイが同じ立場だったとしたら、やはり自分も責任を感じると思うからだ。
サクラと同じように翔も深く傷ついていることだろう。本当は、今すぐにでも翔を探しに飛び出したいくらいだった。しかし、彼には今フィーナという心強い存在があることをミイは知っていた。恐らく、自分が彼にしてあげられることは何もないのだろうと、ミイは思った。だからこそ、サクラの側にいることを選んだのだ。彼ができないことを自分が代わりにしようと思った。翔がサクラの側にいられないなら、自分が翔の代わりにサクラの側にいて彼の代わりにサクラを見守ってあげようと思ったのだ。
「そう・・・もし彼に会ったら、わたしのこと気にしないでって言っておいて」
ミイは無言で頷いて見せた。
「ミイさん、本当に毎日ありがとうね」
サクラにそう言われると、チクリと胸が痛む。サクラは、わざとらしい明るい笑顔で微笑んで見せる。
本当は、サクラやフィーナを一番妬んでいたのは自分なのに。
ミイは、そう心の中で呟いていた。
サクラの部屋を出てから、ミイはサクラの食べ残した食事プレートを食堂まで持って行ったあと、仕事場へと向かった。例の一件があって、ミイは自ら志願し再びシティキーパーの仕事に戻っていた。結局、自分は逃げていただけだったことに気がついたからだ。しかし、気づくのが遅すぎたのかも知れない。翔だけでなく、マサハルもあの一件以来姿を消したままだった。
ミイがシティキーパーの仕事に復帰したのには、もう一つ理由があった。サクラの一件があってからすぐ、更に街全体を揺るがすような事件が起きたのだ。それは、ゲートを警備していたシティキーパーが殺されるという事件だった。
シティキーパーが殺されたときの富野間の態度は、佐伯の時と同じく事務的なものだった。状況だけ説明を受けると、早々に遺体を埋葬させ、あとは何事もなかったかのように日々の生活に戻っていた。シティキーパーが殺害された事実も、街の人たちには一切公表されなかった。
しかし、狭い街での出来事を、秘密にしておくことなど到底できるはずもなかった。シティキーパーが殺害されたことも、サクラの一件も、街の人間のほとんどが知っていただろう。
シティキーパーを殺害した犯人は、例のリーンという街から来たナイジェルの一味であるという説が有力だった。一部では、すでに犯人が街に潜伏しているという噂まで流れていた。実際の所はわからなかったが、状況から見ても、外部の人間の犯行であろうということで意見は一致していた。
どちらにせよ、街の人間にとっては誰が犯人でも関係なかったように思う。問題は、人が殺害されたという事実にあった。街の人たちは、自分たちが異常な事態に巻き込まれていることを、少しずつ認識し始めていた。以前のような目に余る差別や暴力は目に付かなくなったものの、街からは確実に笑顔が失われつつあった。誰もが神経をとがらせ、見えない恐怖に怯える日々が続いていた。
現実という鋭い爪が、シュールの街をついに襲ったのだ。誰もが信じていた安全という虚構が崩れた瞬間だった。
その事件があってから、富野間はゲートの警備を強化するよう命じていた。しかし、指示されたグランドキーパーたちは、いつ自分も同じ目に遭うか知れないと、率先してゲートの監視をするものはいなかった。特に、殺害されたシティキーパーの埋葬にあたった者たちは、それ以降ゲートに近づこうともしなかった。
翔やマサハル、マル太さえもが姿を消した今、ミイが頼れる存在はなかった。彼らがいない以上、今こそ残された仲間たちを守るのは自分しかいないと思ったのだ。これ以上、仲間を失いたくなかった。
ミイは、持ち場に付く前にグランドキーパーが集まる宿舎に寄った。もしかしたら、翔が帰ってきているかも知れないと思ったからだ。そんな淡い期待を抱きながら、彼の住んでいた宿舎に寄るのが日課になってしまっていた。
ミイが宿舎に入ると、玄関に大きな荷物を持ったグランドキーパー数人が立っていた。
「あの・・・すいません。カケルくん、見ませんでした?」
ミイは不審に思いながらも、彼らにそう声を掛けた。
「え?カケルくん?・・・いや、見てないけど・・・」
男の一人が、そわそわした様子でそう答えた。
「そうですか・・・」
ミイはそう答えながらも、その態度に不信感を募らせていた。手にした大きな荷物も、どうも不自然に思えた。
すると奥から更に数人のグランドキーパーが出てくるのが見えた。富野間と有紀以外のグランドキーパーのほとんどがその場に集まっている様子だった。本来なら、そんなことはあり得ない時間帯の筈だった。半分は何処かしらの警備にあたっているはずであったし、ミイの姿を見て、明らかに動揺しているように見えた。
「ねえ、ミイさん」
彼らはこそこそと会話を交わした後、その内の女性一人がミイに話しかけてきた。
「あのね・・・わたしたち、これからグランドキーパーの宿泊施設の方に避難しようと思うの。正直、富野間さんにはついて行けないのよ。わたしたち、アルバイトでグランドキーパーやってただけなのよ?それなのに、命を懸けてまで街の人を守るなんてできないわ。それに、街の人たちもわたしたちを目の敵にし始めたみたいだし・・・ここにいたら、わたしたち何されるか分からないわ。ね、そう思うでしょ?」
その女性は同意を求めるようにミイにそう言った。
「あなたも一緒に来ない?グランドキーパーの宿泊施設なら絶対に見つからないわ。広くはないけど、あそこにも食料はあるし、ずっと自由に生活できるわ」
ミイが何も言えず黙っていると、彼女はミイの手を取り、そう言った。
「ねえ、一緒に行きましょう?」
ミイはしばらく呆然としていたが、我に返るとゆっくりと彼女に首を振って見せた。
「ホントにいいの?」
「いいえ、わたしは行きません。わたしの居場所は、ここにしかないから」
女性は困ったような顔で、ミイの顔を見つめていた。
「安心してください。貴方たちのことは誰にも言いません。誰も貴方たちを責めたりできませんから」
「本当?」
彼女は目に涙を溜めて、そう確認する。
「ええ、約束します。見つからないうちに、早く行ってください」
「ありがとう」
彼女はそうミイに頭を下げると、足早にミイの横を抜け外へと出て行った。他の者も、ミイと目を合わせないように俯きながら、無言で出て行った。
全員が出て行くと、ミイは振り向いて微かに揺れる扉を見つめていた。ここには、彼女たちの居場所がなかっただけなのだ。もし、自分もそう思ったなら同じ行動を取るかも知れないと、ミイは思った。
ミイは前に向き直り、人気のなくなった宿舎の廊下を見つめた。
「有紀さん・・・」
そこには意に反して、有紀が一人立って、ミイを見つめていた。
「いいのよ。彼らの自由にしてあげましょう。彼らを引き留める権利なんて、元々ないんだから」
有紀はそう言いながらミイに歩み寄ってきた。
「ちょっと話があるんだけどいいかしら?」
有紀の言葉にミイは頷くと、彼女はミイを自分の部屋へと案内した。
有紀は部屋に入ると、ため息をついて椅子にもたれ掛かるように座った。
ミイの視線が何気なくベッドに流れる。そこには、見知らぬ女性が寝ていた。ミイは顔を上げ、もう一度有紀に視線を合わせた。
「彼女ね・・・カケルくんから何も聞いてない?」
ミイは首を振った。
「って言っても、名前すらまだ分からないんだけどね。彼女、街の地下施設で偶然見つけたんだけど・・・ずっと眠ったままなの」
「そうなんですか・・・」
ミイはそう言って有紀が勧めるまま椅子に腰を下ろした。翔が彼女をどういった経緯で見つけたのか気になったが、ミイは敢えて尋ねようとはしなかった。
「話は変わるけど」
有紀はそう言うと真剣な面持ちで話し始めた。
「実はね、例の一件があってから、街の中で不穏な動きがあるらしいの。富野間のやり方に反発した人たちが、密かに裏で動いてるらしいのよ」
「・・・つまり反乱ってことですか?」
「ええ。当然よね。富野間のやり方は、わたしだって正しいとは思えないもの。今までは、自分たちが安全ならそれでもいいって誰もが思ってたかもしれないわ。でも、平和は崩された。いや、元々平和なんてなかった――それのことに街の人たちもようやく気がついたってことでしょうね」
「なぜそのことをわたしに?」
有紀はミイの問いに頷きながら話を続けた。
「カケルくんもマサハルくんもいなくなった今、事態を収拾できる人がいるとは思えないわ。いつか、いや今すぐにでも街の人たちの不安は爆発する。きっと、あなたやサクラさんたちにも危険が及ぶわ。だから、知っておいて欲しかったの。あなたは強い人だから。あなたの大切なものを、これ以上失わないためにも。それと、あなたに彼女のことをお願いしたいの。もしわたしに何かあったとき、あなたが彼女を守ってあげて欲しいの」
有紀はそう言いながら、眠り続ける女性に目を向けた。ミイも同じように眠る女性に目を向けた。彼女は眩しいほど美しい女性だった。今にも壊れてしまうそうなほど華奢で、どこか包み込まれるような暖かみがある。有紀が彼女を守ってあげたいという思うのも、不思議と分かるような気がした。
ミイが頷いてみせると、有紀は笑顔を見せ自分の役目は終わったかのようにほっとため息をついた。
「わたしはね、それで良いと思ってる。グランドキーパーもいなくなってしまった今、富野間だけじゃどうせ何もできないわ。彼に従う人間は、きっともういないもの」
有紀はそう言うと、遠くを見つめるように窓の外の風景を見つめて言った。
「人って、やっぱり導いてくれる人が必要なのかしら。誰かに導いてもらわないと、生きていけないのかしら。自分自身で生きていくことってできないのかしら・・・ミイさん、どう思う?」
「分かりませんけど、少なくともわたしには必要です。導いてくれなくてもいい。一緒に歩けなくてもいい。でも、誰かの道を歩くことしか、わたしにはできないんです」
ミイはそう答えた。
「そう・・・でも、わたしにはもういないわ」
有紀は振り向くと、乾いた笑顔でそうミイに言った。
「有紀さん・・・佐伯さんのことを」
有紀は無言で頷くと、いつもの力強い眼差しに戻りミイを見つめて言った。
「富野間はすべて知ってるの。街の人たちが反乱を起こそうとしていることも、もうこの街の秩序が壊れてしまったことも。でも、彼はただで終わるような人間じゃないわ。きっと何かを企んでいるはず」
「企んでいるって・・・いったい何を?」
「そこまでは分からないわ。でも、彼は自分の信じた道のためなら何でもできる男よ。そして、残酷な男だわ」
有紀は唇を噛むようにそう言った。
「シティキーパーを殺害したのは富野間なのよ。彼はあのシティキーパーから反乱を企てている仲間たちの行動を聞き出した後、残酷にも殺したのよ。外部の犯行と思わせるよう、わざと残酷な方法で・・・。彼から聞いた話だから、間違いないわ」
ミイは言葉を失っていた。
「富野間との決着はわたしがつける」
ミイは言葉を失ったまま何も言えなかった。ミイは彼女に促されるがまま、彼女の部屋を出た。
富野間がシティキーパーを殺害したと言うことも、ミイには信じられなかった。
富野間が佐伯の遺体を躊躇なく抱きかかえ出てきた姿をミイは覚えている。誰もが目を背ける中、富野間だけは最後まで佐伯の遺体を見つめていた。表情には出さなかったが、その眼差しには悲しみが満ちあふれているように思っていた。そんな彼に躊躇なく人殺しができるとは、ミイには思えなかった。
有紀のことも、何とかして思いとどまらせなければいけない。反乱を起こそうとしている人たちもそうだ。そんな争いに、意味などあるはずがない。しかし、どうすれば良いのかミイには全く分からなかった。
こんなとき、翔やマサハルが側にいてくれたらと思う。しかし、今は彼らさえもいない。いつの間にかにそれぞれの心は離れ、ばらばらになってしまったのだと思った。どうしてもっと早くそのことに気がつかなかったのだろうと、ミイは悔やんだ。
何もかもが変わってしまったのだ。この短い間に、みんな変わってしまった。ミイは、その事実を受け入れることができなかった。
ギド、ルウ、サキは意見の食い違いから、異なる道を選び去っていった。
サクラは笑顔を失い、マル太は姿を消してしまった。
翔は見知らぬ女性の元へと離れていき、マサハルはどこで何をしているのかも分からない。
「ミイ、どうしたんだ?」
そこにはリンドウが心配そうな面持ちで立っていた。ミイは、流れ出てくる涙を抑えられず、涙を溜めた目でリンドウを見つめていた。
「リンドウさん・・・わたし、どうしたらいいのか・・・どうしたらいいのかわからないの・・・。みんなバラバラになってしまって・・・わたしは、わたしの居場所がどこにあるのか、わからなくなっちゃったの・・・。わたしはだた、みんなと一緒にいられればそれで良かったのに・・・」
ミイは溢れ出るものを抑えられず、そのままその場に泣き崩れた。
リンドウは側に来てミイの肩を掴むと、ゆっくりと立ち上がるように促した。
「だから、僕らにはミイがいるんじゃないか。君は居場所を失った訳じゃない。見失っていただけだよ。ミイも、他のみんなも。僕らの居場所は、いつもミイのところにあったんだ。本当は君がみんなの居場所だったんだよ。気がつかなかった?」
リンドウはそう言って、いたずらっぽくミイに微笑んで見せた。そのリンドウの顔を見ていると、ミイは不思議にすっと重りが取れたような気がした。
「リンドウさん、大変なんです。有紀さんが・・・」
ミイはことのあらましをリンドウに話して聞かせた。リンドウは、重い表情でそれをじっと聞いていた。
「どうすればいいのか・・・わたし分からなくて・・・」
「とにかく有紀に言ってそんなことは止めさせるんだ。俺は富野間を探す」
「こんなとき、カケルくんがいてくれたら・・・」
ミイがそう言うと、リンドウはミイの肩を叩き諭すように言った。
「あいつは必ず帰ってくる。俺はそう信じてる。だから、ミイも信じるんだ」
リンドウの言葉に、ミイは溢れ出そうな涙を堪えながら頷いて見せた。
リンドウはそれに応えるように頷くと、富野間を探すために走り出そうと振り返った。しかし、走り出そうとするリンドウの視線の先には、突然慌ただしく駆けてくる人々の姿があった。
同時にミイの視線もその人の群れを捉えていた。随分慌てた様子で、ミイ達の方に向かって走ってくる。よく見ると、それは先ほど街から避難すると言って出て行ったグランドキーパーたちだった。
彼らはミイたちの元に走り寄ると、肩で息をしながら一旦立ち止まった。その内の一人が、切羽詰まった表情でミイの肩を掴み言った。
「大変だ!モーヴの大群がこの街を襲撃してきた!」
そう叫びながら指さす先には、幾百とも思えるモーヴの群れが、背筋が凍るような雄叫びを上げながら迫ってくる姿が映し出されていた。
「サクラ」
サクラはその声に目を覚まし、窓からの木漏れ日に映った影に目をやった。
「カケルくん?」
サクラはベッドから身体を起こすと、影のある先をじっと見つめた。
「俺だよ」
マサハルはそう答えながら、サクラに歩み寄ってきた。
「どうしたの?マサハルくん」
サクラがそう尋ねても、マサハルは微笑んだままじっとサクラの顔を見つめていた。
「もう、終わりにしよう。傷つくのも、傷つけるのも。もうそんな姿は見たくないんだ」
マサハルはそう言って、サクラのベッドに腰掛けた。サクラは不思議そうにマサハルの顔を見つめていた。
「傷つくのも、傷つけるのも、俺一人で充分だ。そう分かったんだよ、サクラ」
マサハルはそう言って、サクラに微笑みかけた。
「君は俺が守るよ。絶対にもう、傷つけたり傷つけられたりしない。約束する。だから、俺と一緒に来て欲しいんだ。時間はかかるかも知れない。でも、信じて欲しいんだ」
サクラはマサハルがふざけているわけではないことが分かると、少し戸惑うように肩をすぼめた。
「君だけじゃない。俺が全てを守ってみせる。この世界を」
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