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PHASE 13 「崩れる秩序」
目蓋の前にぼんやりと暖かい光が灯る。遠い昔、また自分にも家族というものがあったとき、見たことのある光だ。
翔はごくありふれた家庭に育った。少なくとも、翔はそう思っていた。目の前にあるものが、突然壊れて消えてしまうなど、そんなことがあるはずはないと信じて疑わなかった。学校から帰ると母がいて、家の中はいつも暖かい明かりで包まれていた。
しかし、ある日学校から帰ると、その光は消えていた。母は真暗な居間に無言のまま佇み、肩を揺らして静かに泣いていた。その夜、何時になっても父は帰ってこなかった。次の日、冷たくなった父の亡骸が自宅に帰ってきたとき、翔はようやく何があったかを知った。それは、翔がまだ小学4年生だったころの話だ。
父が死んで、母は気力を失ったかのようにふさぎ込み、体調を崩しては入退院を繰り返す日々が続くようになった。幸い父が遺してくれた保険金と遺族年金で生活はできたものの、母は日を追う毎に心も体も弱っていき、ほとんどを病院のベッドで過ごすことになった。翔が中学生になった頃には、ほとんど一人暮らしのような日々が続いていた。
その生活は、まるで仮想の世界のように翔には感じられた。光を失い色あせた世界は、翔にとって現実とは懸け離れた世界に見えた。そう思わないことには、翔自身も壊れてしまいそうだったのだ。
いつか、夢から覚めるようにあの頃の現実が戻ってくるのだと、翔はずっと信じていた気がする。
「カケルさん。カケルさん」
微かにそう自分を呼ぶ声が聞こえた。翔は眩しいほどのその光に目を細めながら、ゆっくりと目を開いた。
「カケルさん!」
光に包まれて、心配そうに見つめるフィーナの顔が目の前に映った。
「フィーナ・・・」
そう呟くと、翔は微笑んで見せた。
翔の笑みを見て安心したのか、フィーナはほっとしたように胸をなで下ろすと、応えるに微笑んだ。かつて母が見せてくれたような、暖かく心安まる笑顔だった。
「ここは・・・」
翔はゆっくりと身体を起こすと、辺りを見まわした。そこは翔の部屋だった。翔は記憶を辿るように、何があったのかを思い出そうとした。脳裏に嘲笑う男の顔が蘇る。マサハルが碧空の剣を手に取りもがき苦しむ姿が、まるでつい先ほどの出来事のように思い出された。しかし、それ以降の記憶はまったくなかった。どうやって街まで帰ってきたのかも、まったく思い出せなかった。
「マサハルは?マサハルはどうした?」
翔は突然すがるようにフィーナに問いただした。フィーナは驚いた様子で翔を見つめていた。
「マサハル・・・?ああ、カケルさんを運んできてくれた人のこと?」
「マサハルが俺をここに・・・?マサハルは、彼は生きてるんだね?」
フィーナはまくし立てるように質問してくる翔に少し戸惑いながらも頷いて見せた。
「うん・・・たぶん。彼、マサハルって名前だったと思う・・・。彼が、気を失ったカケルさんをここまで運んでくれたの。いったい、何があったの?」
「いや、なんでもないよ。ありがとう」
翔はフィーナの問いをはぐらかすようにそう答え、口を閉じた。
マサハルが自分をここに運んでくれたということは、恐らくあの危機的状況を何とか脱することができたということだろう。自分も生きているということは、確かにマサハルも生きているということだ。
しかし、翔の脳裏には鮮血を流し倒れる男たちの姿がまだ焼き付いていた。自分たちが生きていたということは、つまり彼らは死んだということなのかも知れない。その時、碧空の剣を手にしたマサハルの姿が脳裏によぎった。あの危機的状況を脱する術があるとしたら、考えられる理由はひとつしかない。
仕方のないことだと、翔自身にもよく分かっていた。殺さなければ自分たちが殺されていたことは確かなのだ。それが現実だ。
しかし、自分にはそれができなかった。それはやはり自分の弱さなのかも知れない。その弱さが、結果的にマサハルに重責を負わせることになってしまったのだ。
翔はベッドから立ち上がると、壁に掛けられていた服を手に取り、それを身につけた。とにかく、マサハルと会って話さなければいけないと思った。
「ちょっと出掛けてくるよ」
「え?今から?・・・大丈夫なの?」
翔が振り向いてフィーナにそう告げると、彼女は再び心配そうな顔を浮かべそう言った。
「もう大丈夫だよ。ちょっと疲れてただけだから。じゃあ、行ってくる」
翔はそう言うと、足早に部屋を出た。
翔はすぐに別棟にあるマサハルの部屋へと向かった。マサハルの部屋のドアの前に立ち軽くノックをしてみたが、中から返事はなかった。何度かノックをしてみたものの、やはり返答はなかった。仕方なく諦めて立ち去ろうとしたとき、微かに部屋の中から物音が聞こえた。翔は再びドアに歩み寄り、マサハルの名を呼んでみた。
「カケルか?」
囁くようなマサハルの声が聞こえた。翔はそれに答えるようにドアに顔を寄せ、囁くように返事をした。すると、ゆっくりとドアが開き、隙間から神妙な面持ちのマサハルの顔が見えた。
「とりあえず中に入れよ」
マサハルはそう言うと、ドアを開け翔を招き入れた。ドアを閉めると、マサハルはほっとため息をつきベッドに腰を下ろした。
「ようやく目が覚めたか。何があったのか、尋ねに来たんだろ?」
神妙な面持ちは消え、いつもと変わらぬ明るい表情でマサハルはそう言った。
「ああ」
翔は頷くと、椅子に腰掛けた。
「それが俺にも良く分からないんだ・・・。あの剣を手にした瞬間、色々なものが頭の中を駆けめぐって、何がどうなったのかもよく思い出せないんだ。気がついた時には目の前に青いドラゴンがいた」
「ドラゴンが?」
「ああ、そのドラゴンに乗って俺たちは街に帰ってきたんだ」
「なぜ突然ドラゴンが?」
「碧空の剣だよ。剣は、ドラゴンの仮の姿なんだ」
「あの男たちは・・・?」
「俺が気がついたときには、すでに死んでたよ。たぶん俺が・・・」
マサハルはそう言うと顔を伏せ口を噤んだ。しかし、思い直したように顔を上げると、再び口を開いた。
「気がついたとき、男たちはみんな死んでいた。そして、俺の前にあのドラゴンがいた。そして、俺に言ったんだ。『お前には、この剣を持つ覚悟はあるのか』と。俺は答えられなかった。カケルは正しかったよ。あれは、俺たち人間なんかが手にしちゃいけない代物なんだ。あの剣を掴んだ瞬間、なんとなくだがそれが分かった」
マサハルは苦笑いを浮かべそう言った。
「それで碧空の剣は?」
翔が尋ねると、マサハルは立ち上がりベッドのマットを持ち上げた。マサハルはその下から碧空の剣を取り出すと、翔に差し出して見せた。
「今は触っても大丈夫だよ、たぶん。剣の姿に戻ってから、云とも寸とも言わなくなった。呆れられたんだな、たぶん」
翔は差し出された剣を恐る恐る手に取った。マサハルに手渡されると、その重さがずっしりと腕にのし掛かった。マサハルの言うとおり、確かに今は普通の剣と何ら変わりはないように見える。
翔はじっと碧空の剣を見つめた。マサハルの言うように、この剣は誰かが持つべきものではないのかも知れない。目の当たりにしたわけではないが、その力はきっと想像を超えるものなのだろう。そんな剣は、心の弱い自分たちにとっては諸刃の剣だ。
「すまない。あのとき俺が・・・」
翔はそう言いながら碧空の剣をマサハルに手渡した。
「いいさ。俺とお前、どちらが剣を手にするかなんて重要じゃなかったんだ。この剣は、俺たちには荷は重すぎる。ただ今は、とにかく二人とも無事に帰って来られたことを素直に喜ぼう」
マサハルはそう言って翔の肩を叩いた。しかし、翔の脳裏からは男たちの鮮血が未だにこびりついて離れなかった。
マサハルは何事もなかったかのように気丈に振る舞っているが、心の中では苦しんでいるのだろうと翔は思った。人を殺して、平気でいられる訳はない。少なくとも、マサハルはそういう男だ。だからこそ、気丈に振る舞っているのだろう。
しかし、今この世界がそんな異常な環境にあることは確かなのだ。殺さなければ、自分が殺される。それがもう避けられないのが、この世界の現実なのだ。翔は再びあの男たちのことを考えていた。プレーヤー同士が戦う世界、これがこのオフライン・ゲームの真の姿だと言うことなのだろうか。
「マサハル、奴ら・・・獣人化したあの男たちのことどう思う?」
「ファリスの民か・・・。奴らは、我が君主が獣人と契約を交わしたと言っていたな。それは、初代ファリスの君主のエピソードと合致する。つまり、それこそがこのアルダリス・オフラインの筋書きなのかも知れない。元々アルダリス・オフラインはアルダリスが4ヶ国に分裂する時代が背景だからな。プレーヤーの誰かが、すでにファリスの君主となるべくその証を手に入れたってことだな」
「ファリスの君主・・・」
翔の脳裏にはある人物の名前が浮かんでいた。マサハルはそれを見透かしたように、呟く翔に頷いた。
「ナイジェル。一連の出来事から考えても、奴がファリスの君主になったと考えて良いだろうな。そして、奴はこのアルダリスの世界を完全に支配しようと目論んでいる。この世界が現実化している以上、俺たちにとっては奴の存在は驚異だな」
マサハルは碧空の剣を見つめながら言った。
「それを阻止できるのはこの剣だけだ。しかし、俺には使いこなせなかった。今この剣は、本当の主を待ちながら眠りについているんだろうな。でも、この剣があの男が言っていたようにウェイズの君主のものだとすると、あと2つラミュールとモーリスの剣も存在するはずだ。まだ、奴の手によって消し去られていなければの話だが」
「その剣、どうするつもりなんだ?」
翔が尋ねると、マサハルは碧空の剣を見つめた。
「わからない。俺が持っていても仕方ないのだろうけど、そこら辺に放っておくこともできないしな」
「でも、奴らの目的はその剣だ。その剣を持っている以上、危険なことに変わりはないじゃないか?」
マサハルは顔を上げると翔に頷いて見せた。
「ああ、分かってる。この剣のことは、俺に任せてくれないか?」
翔はじっと彼の目を見つめ、その真意を確かめようとした。彼は、それを察知したかのように、力強い眼差しで翔の視線を受け止めていた。
「マサハル、すまない・・・。俺が不甲斐ないばっかりに」
翔がそう言うと、マサハルは力を抜いて笑顔で頷いて見せた。
「とりあえず、飯食いに行かないか?俺も帰ってきてからまだ何も食べてないんだよ」
マサハルは何事もなかったかのような素振りでそう言うと、翔を促すように立ち上がった。
マサハルは翔と食事を済ませたあと、そのままシティキーパーの仕事に戻っていった。あまり不審な行動をとって怪しまれるのも、混乱を招くだけだからとマサハルは言っていた。
マサハルと別れてから、翔は今回のことを富野間に報告すべきかどうかを迷っていた。そもそも今回の調査は富野間に指示されて行ったことなのだ。本来は、報告する義務があるだろう。しかし、ファリスの民のことは良いとしても、富野間に碧空の剣のことを知られるのはまずいような気がした。
しかし、もし奴らに碧空の剣が今シュールの街にあることが知れていたら、この街も安全ではないということだ。少なくとも、奴らの目的が自分を誘き出し碧空の剣を消し去ることにあったのだとしたら、当然まずは自分を疑うだろう。
翔は考えをまとめ終えると、踵を返し富野間の小屋へと向かった。富野間は、小屋の外で街の様子を伺うように立っていた。翔が目で合図するように富野間を見つめると、無言で翔を小屋の中へと招き入れた。
「君がわたしのところに来ると言うことは、何かしら成果があったということだろうな。報告してもらおうか」
富野間は椅子に腰を下ろすと、さっそく翔にそう尋ねてきた。
「はい。ヴォルフたちは、どうやら他のプレーヤーにおびき出され街の近辺まで来ていたようです」
「プレーヤーに?自分のみを危険にさらしてまで、なぜそんなことをする必要がある?」
富野間は納得いかないような様子でそう尋ねた。
「・・・分かりません。ただ、彼らは人であってもう人ではない。獣人なんです」
「獣人に?・・・ファリスの民と言うことか。なるほど・・・ファリスの君主・・・そういうことか」
富野間は納得したかのように頷いていた。
「何か知ってるんですか?」
その様子を不審に思った翔は、富野間にそう問いただした。
「前にリーンから逃げてきたグランドキーパーがいただろう。奴の話では、ナイジェルが自らをファリスの君主と呼んでいたそうだ」
富野間はそう答えると、話を続けた。
「つまり、ナイジェルはファリスの初代君主となり獣たちと契約を交わした。その配下となったプレーヤーたちは、ゲームと同じようにその姿を獣人と化した。モーヴが現実化していることを考えても、今更そんなことはありえないなんて言っていられないからな」
「問題はナイジェルとその配下たちが、理由はともあれこの街を狙っていると言うことです。明日、この街にファリスの民が押し寄せてきてもおかしくない状況なんです。今すぐ、街の人たちを避難させるべきです」
翔は訴えるようにそう告げた。富野間はしばらく黙ったまま考え込んでいた。
「解せないな。それならなぜ、奴らは最初から自分でこの街を襲ってこない?わざわざ危険を冒してヴォルフを引き連れてくる必要がある?」
富野間は顔を上げると、翔の顔を覗き込むようにしてそう尋ねてきた。
「それは・・・分かりません」
翔は視線を逸らし答えた。富野間は変わらず翔の心を探るようにじっと見つめていた。
「まあ、いい。だが、君の提案は受け入れられないな。余計な混乱はこの街の秩序を乱す。人々の不安を煽るだけだ。それに、どこに逃げるところがある?」
「この街を捨てるんです」
翔が答えると、富野間は話しにならないといった顔を見せた。
「街を捨てる?街を捨ててどこに行く?外はモーヴだらけだ。ヴォルフだってまだ徘徊してるんだろう?ファリスの獣人たちだってまだ近くを徘徊しているかも知れない。助かる保障もないのに、誰があえて危険な街の外に逃げたいと思う?」
「でも・・・」
翔は何も言えず口を閉じてしまった。
「とにかく、君は余計なことは考えなくて良い。わたしにだって考えはある。どんな奴らであれ、この街の秩序を乱そうとする奴はわたしが許さん」
富野間はそう言うと立ち上がり、話は終わったと言わんばかりに扉を開け、翔に外に出るように促した。翔は、促されるがままに富野間の小屋をあとにするしかなかった。
富野間の小屋を出ると、仕方なく自分の部屋に向かい歩き出した。
富野間の返事はある程度予想したものだった。彼がなぜあそこまでこの街に執着するのかは分からない。ただ、彼は街を守るという自分の義務を全うしたいだけなのかも知れない。富野間は、そういう人間だ。人が傷ついたり誰かが不幸になることは、彼にとってはそれほど重要ではないのだ。彼は、何よりも秩序を重んじる。もし壊れた歯車があったとしたら、壊れた歯車を捨て新しい歯車を使う。富野間はそういう人間だ。壊れた歯車を、直して使おうという発想は彼にはない。
翔が部屋に戻ると、フィーナが食事を用意し部屋で待っていた。部屋に入ると、彼女は心配そうな眼差しで翔を見つめていたが、あえてそれを口にしようとはしなかった。
「食事は?」
「ごめん。さっき食堂で食べてきたんだ」
「ううん。それならいいの」
翔が答えると、フィーナは首を振り笑顔でそう答えながら、心ここにあらずと言った表情で食事を片付け始めた。その目は、まるで宙を泳ぐように視点が定まっていなかった。考え事をしていたのか、案の定彼女は手を滑らせ持っていた皿を一枚床に落とした。幸い割れはしなかったものの、彼女は慌ててそれを拾い上げた。
「どうかしたのかい?」
「ううん、何でもないの」
フィーナは作り笑いを浮かべそう答えた。しかし、彼女は再び考え込むように顔を伏せ、翔に背中を向けたまましばらくじっとその場に立ち尽くしていた。
「ねえ、カケルさん・・・。カケルさんは・・・わたしを・・・見捨てたりしないよね・・・」
その呟く彼女の背中は小刻みに揺れてた。翔は突然の彼女の言葉に驚きながら、その背中を見つめていた。しかし、翔はすぐに思い直したように、彼女の名を呼んだ。彼女は、その呼びかけに応えるように、ゆっくりと振り返った。
「心配しなくていい。君は俺が守るから。君だけは何としても俺が守るから」
翔がそう答えると、彼女は安心したような哀しいようなどちらとも付かない顔で頷いて見せた。
「もったいないから、やっぱり食べるよ。一緒に食べよう」
翔がそう声を掛けると、彼女は気を取り直したように笑顔で頷き、皿を再びテーブルに戻した。
翔はそんな彼女の姿を見ながら、どうすべきかを考えていた。正しく言えば、すでに富野間に報告しに行く前から、そうすべきなのだろうと心の中では決心が付いていたことだ。しかし、今のフィーナの言葉でどこか吹っ切れたような気がした。
フィーナがテーブルについてからも、翔は食事には手を付けず、その姿をじっと見つめていた。翔の視線に気がついたフィーナは、箸をとめ不思議そうに翔を見つめ返してきた。
「どうしたの?」
フィーナはじっと見つめる翔にそう尋ねた。
「フィーナ」
翔がそう声を掛けると、フィーナは箸を置き姿勢を正すようにして翔を見つめた。
「一緒にこの街を出よう」
翔の言葉に、フィーナは一瞬驚いた顔を見せた。しかし、その顔はすぐに穏やかな笑顔に変わり、彼女は頷いて見せた。
「あなたがそう言うなら、わたしは一緒に行きます。あなたと一緒なら、どこへでも」
彼女は穏やかな笑顔でそう答えた。
翔は彼女が寝静まったのを確認すると、彼女を部屋に残し外へ出た。
この街を出て行くと決めた以上、なるべく早く出て行った方が良いだろうと考えていた。しかし、その前にいくつかやらなければならないことがあったからだ。
この街を出て行くという考えは、富野間に報告に行く前から考えていたことだった。そもそも、街の人たちを全員避難させるということも、富野間の言うように難しいとは思っていたし、彼も反対するだろうことは予測していた。
あの男たちが言っていたことが正しければ、ナイジェルたちの目的は碧空の剣にあり、この街自体には興味はないはずだった。また、碧空の剣が姿を消したとき、まず最初に翔が持っていることを疑うのは間違いないはずだ。だとしたら、翔自身がまずこの街にいることは街自体を危険にさらすことになることは明白だった。
そう考えると、街の人々を避難させるより、翔自身が街を出た方が手っ取り早いことは明らかだ。
しかし、碧空の剣自体がこの街にあったのでは意味はない。もしナイジェルたちの手から逃げ切れたとしても、翔が碧空の剣を持っていないことは、その内感づかれてしまうだろう。だとしたら、碧空の剣を持ってこの街から出ない以上、この街の安全は確保できない。
一番迷ったのは、フィーナのことだった。彼女を連れて行くべきかどうか、翔は最期までそれを迷っていた。ナイジェルたちが翔の思惑通り動いてくれれば、街に残した方が安全なことは明白だ。ナイジェルたちに追われる身になったとき、逃げ切れる保障はどこにもない。今でも、あの選択が正しかったのかどうかは分からない。
たぶん、それは自分自身のためだろうと翔は思う。彼女を一緒に連れて行くという選択は、翔自身のエゴ以外の何ものでもない。しかし、翔は今の自分には彼女が必要だと感じたのだ。また、今の彼女にも自分が必要なのだと感じた。お互いが必要とすること、必要とされることに二人は支えられている。彼女は翔にとってそう言う存在だった。
街を出てどこかに向かう宛はなかった。しかし、フィーナを守るという目的があれば、何とかなるような気もしていた。それに、あの時見たナイジェルのことも気になっていた。彼は本当にナイジェルだったのか。そして、彼の纏っていたギドのマントは何を意味しているのか。
しかし、現状でナイジェルに近づくのは無謀と言わざる得ないだろう。自ら敵の前に姿をさらし出すわけにはいかない。街を出たら、とりあえずギドたちを探さなければならない。翔はそう思った。
翔は部屋を出るとそのままマサハルの部屋へ向かおうと歩き出した。彼に街を出ることを話したら、恐らく彼は反対するだろうと思った。しかし、現状他にそれ以外に良い方法は思い付かない。何とかマサハルを説得し、碧空の剣を受け取るつもりだった。
「カケルくん!」
宿舎から出たところで、突然自分の名を呼ぶ声に、翔は振り返った。見ると、ミイが慌てた様子で走ってくる姿が見えた。
「カケルくん!大変なの!マサハルくんが!」
ミイは翔の元まで駆けてくると、息を切らしながら切羽詰まったように翔にそう言った。
「ミイ。マサハルがどうかしたの?」
「とにかく、一緒に来て!」
ミイは落ち着く間もなくそう言うと、翔の手を引っ張り再び走り出した。翔は、ミイに従うがままに、彼女と一緒に走り出した。
「いったい何があったって言うんだ?」
翔は走りながら、ミイにそう尋ねた。
「サクラさんが!とにかく大変なの!」
息が上がったミイは走るのに必死で、掠れた声で翔に言った。
ミイが向かったのは、サクラの泊まる宿舎だった。宿舎と言っても、やはりマル太のものとあまり変わらず小さな小屋を共同で宿泊に使用しているだけのものだった。前にサクラに聞いた話では、ランドリーで働く人たちと数人で寝泊まりしているらしいことを言っていた。
「お前か!あの男に頼んだのはお前か!」
部屋の中から、マサハルの怒鳴る声が聞こえてきた。翔は、事態が把握できぬまま部屋の中に駆け込んだ。すると、ドアの隅に怯えながらへたり込む女性の姿が見えた。マサハルは怯える彼女の胸ぐらを掴み、そのまま持ち上げ今にも殴りかからんばかりの形相で彼女を睨み付けていた。胸ぐらを掴まれた女性は、涙を流しながら必死に首を横に振って答えていた。
マサハルは投げ出すように彼女を離すと、そのまま部屋の奥へと入っていった。翔も余りのことに気が動転しながらも、マサハルを追って中に入った。
部屋の中には、数人の女性が布団に隠れるようにくるまって震えていた。マサハルは、彼女たちの布団を無理矢理剥ぎ取り、また大声で怒鳴り、一人の女性の胸ぐらを掴んだ。
「お前達のしたことは人間以下だ。屑だ。はっきり言って、俺にはお前達に生きてる価値があるとは思えない」
マサハルはそう言って腰の短剣を抜いた。
「マサハル!何をするつもりだ!」
翔がそう叫んでも、マサハルは聞こえていないかのように彼女たちを憎しみの眼差しで睨んでいた。
「おい!マサハル!どうしたんだ?どういうことなんだ?」
翔はマサハルをなだめるように身体を押さえて、そう尋ねた。マサハルは息を荒げながらも、深呼吸をするように肩で息をして、ゆっくりと翔の方に向き直った。
「サクラはランドリーにいる。何があったか自分で見てみればいい」
マサハルはそう言うと、再び震える彼女たちに目線を戻した。その目は怒りに満ちあふれ、いつその短剣を突き刺してもおかしくないように見えた。
「マサハルくん!」
騒動を聞きつけたのだろう、有紀が部屋の中に入ってきてそう叫んだ。
「マサハル!止めるんだ!」
翔がもう一度叫ぶと、マサハルは掴んでいた女性から手を離し、怯える女たちを一瞥すると煮え切らない表情で怒りを抑えるように一歩下がった。
難を逃れた女性は、逃げるように後ずさると、鋭い目つきで翔を睨み付けてきた。
「もとは言えばあんたがいけないのよ!あんたがサクラを特別扱いしたりするから!わたしたちだって、あの男に・・・。サクラだけ逃げるなんて、ずるいのよ!」
女性は唇を噛みしめ、怒りに満ちた顔で翔を指差しそう叫んだ。翔は彼女の言葉に呆然とし、ただその怒りのこもった眼差しを見つめることしかできなかった。
マサハルがその言葉に反応し再び彼女に詰め寄ろうとした。しかし、すんでのところで思いとどまると、舌打ちをしながらその場を出て行った。
「彼女たちのことはわたしに任せて・・・カケルくん、あなたはサクラさんの所に」
有紀は呆然とする翔を慰めるように、そう促した。
「わ、わかりました」
翔はそう言って、その場を離れランドリーに向かった。何が起きているのかよく分からなかったが、嫌な想像が翔の脳裏には浮かんでいた。もし、この想像が事実だったとしたら・・・そう考えただけでも、翔は発狂しそうな自分を抑え込んでいた。しかし、もしそうだったとしたら、マサハルがあれほど怒り狂う理由も理解できた。
翔はランドリーに辿り着くと、走るスピードを緩め、ゆっくりとランドリーの中に入っていった。昼間はけたたましく機械が唸っているランドリーも今は静まりかえり、心地良い香りだけが漂っていた。しかし、その機械の前には、ぼろぞうきんのように血にまみれ倒れた男の姿があった。顔はよく見えなかったが、ランドリーを管理していたあの男に違いなかった。
翔は急いでいつもサクラが働いている部屋に入ると、サクラが真っ白いシーツに身をくるまれて、床に座り込んで震えていた。サクラは翔の姿を見ると、何故か申し訳なさそうに微笑んで見せた。
翔はゆっくりとサクラに近づき彼女の前に跪くと、サクラは咄嗟に翔の胸に顔を埋め泣き出した。
「カケルくん・・・」
いつからいたのか、そこにはミイが立ち、目に涙を溜めて翔たちを見つめていた。その傍らには、富野間の姿もあった。
「男の方は重傷だ。当然の報いだな」
富野間が翔にそう告げた。
「まさかマサハルが?」
「誰だろうと構わない。当然の対処だ」
富野間はそう答える。
「マサハルくんじゃないわ。彼はわたしと一緒にいたんだもの。マサハルくんとわたしが駆けつけたときはもう・・・」
ミイが悲痛な表情でそう告げた。
「じゃあ誰が・・・」
ミイはその答えが分かっているような悲しい眼差しで、翔を見つめた。翔は驚きの余り何も答えられなかった。
洗ったばかりのすがすがしいランドリー香りとは裏腹に、混沌とした冷たい空気が漂っているように翔には感じられた。
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