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PHASE 10 「微笑みの行方」  

「なあ、カケル。これから、俺たちどうなっちゃうんだろうな?」

 翔の隣を歩く男が、そう話しかけてきた。しかし、その表情はそれほど深刻そうには見えなかった。

「そんなの、俺にもわからないよ」

 翔はその表情を一瞥すると再び視線を前に戻し、歩きながらそう答えた。

 彼は翔と組んでいるグランドキーパーの一人だった。翔たちはゲートの監視交代のために、街の西ゲートへと歩いている最中だった。

 ゲートの監視をする際は、必ずグランドキーパーとシティキーパーが一人ずつ割り当てられていた。翔たちシティキーパーも特権階級と言えたが、彼らグランドキーパーは富野間の指示の元、最大の権利と待遇を保障されていた。

 しかし、その実体は有紀が最初に指摘したように、単なるアルバイト人員でしかない。その意識は、プレーヤーとして参加した人たちとなんら変わりはない。彼らにしてみればグランドキーパーだったことが不幸中の幸いと言えたかも知れないが、自分たちに半ば無理矢理与えられた権利も持て余しているというのが実状だった。

「もう、ここに来てから3週間だぜ。こんなにいる予定じゃなかったんだけどな・・・。ああ、次予定してたバイト、もう駄目だろうな・・・ここほどじゃないけど、結構割のいいバイトだったのに。そもそも、ここのバイト料、本当にもらえるのかな」

 翔はそれを聞いて苦笑するしかなかった。そんな脳天気なことを言っていられる状況でないことは、誰もが分かっていることだ。神経がずれているのか、それとも現実逃避しているだけなのか、呆れて返事をすることもできなかった。

 翔たちは西ゲートに着くと、先に監視役を務めていたメンバーと交代し、そのままゲートの監視の仕事に就いた。

 ゲートの監視の仕事と言っても、これと言ってやることがあるわけではなかった。通常は、何もなく時間が過ぎるだけだ。街の外を徘徊してるというモーヴたちも、ほとんど街のゲートの近くまで来ることはなかった。それを考えても、奴らの目的がこの街自体にあるわけではなく、街の近くにある何かにあるのだろうという予測は付いた。

 度々街の外に出ているというマサハルのことが気になった。食堂で会ってからここ二日ほど、彼の姿を見かけていなかった。

「ちょっと便所に行ってくる。見張り頼むよ」

「ああ、いいよ」

 相方のグランドキーパーがそう言ってそそくさと階段を下りていった。いつものことだった。どこかで適当に油を売って、たぶん戻ってくるのは30分後くらいだろう。

 翔は男を見送ると、ゲートの脇に設置された見張り台から森を眺めた。

 しかし、いつもと違うどこか張り詰めた雰囲気を翔は感じた。特に変わりはないように見えるが、いつもにはない気配を感じた。翔は見張り台から降りると、ゲートの前に立ちじっと森を見つめた。

「キャアアアア!」

 突然、森に悲鳴が響き渡った。翔は声を聞くやいなや、すでに声の聞こえた方に走り出していた。

 草を掻き分け森の中に入ると、すぐそこに狼の顔を持つ人型のモーヴの姿が見えた。ヴォルフだ。アルダリスでもかなり高レベルのクラスに属する獣型モーヴだった。そのすぐ目の前には、地面に尻もちをついてヴォルフを見上げている女性の姿があった。

 ヴォルフは一瞬大きな目だけを翔の方に向け、すぐに目の前に倒れた女性に視線を戻すと、持っていた斧を彼女目掛けて振り下ろした。

「危ない!」

 翔は咄嗟に彼女の元に駆け寄ると、間一髪でヴォルフの斧を剣で受け止めた。ヴォルフは翔をそのまま叩き潰さんとばかりに斧に力を入れてくる。

「早く逃げるんだ!」

 翔は背後で尻もちをついている女性にそう叫んだ。しかし、女性は焦点を失った目でヴォルフを見上げ、その場にうずくまっていた。

「早く!」

 翔がもう一度叫ぶと、女性は我に返ったように目の前で盾になっている翔に目を向けた。しかし、まだ状況を把握し切れていないのか、女性は翔の存在に気がつくなりすがるように翔の背中に抱きついてきた。

 ヴォルフの斧は益々力を増していった。さすがの翔も、このままの体勢では持ち堪えられそうになかった。

「キャアアア!」

 再び背中にしがみついている女性の悲鳴が翔の耳に響き渡った。翔はあまりの声の大きさにくらくらする意識を必死に保ちながら、しがみつく彼女の方に目を向けた。

 背後に、さらに3匹ほどのヴォルフが茂みの中から姿を現した。

「くっ!」

 万事休すかと翔が覚悟を決めた瞬間、翔を抑えつけていた斧の力一瞬ゆるんだ。

「くそおおおお!」

 翔はその瞬間を見逃さず目の前のヴォルフを跳ねとばした。ヴォルフは翔に跳ねとばされその場に倒れた。翔は間髪入れずにヴォルフの上に跨り、その胸に剣を一気に突き刺した。ヴォルフは低い唸り声を上げると、そのまま動かなくなった。翔は倒れたヴォルフの腕に一本の矢が突き刺さっているのに気がついたが、すぐに立ち上がり背後に迫るヴォルフに猛突進した。

 3匹のヴォルフは、突進する翔に目掛けて同時に斧を振り下ろした。しかし、それより一瞬早くヴォルフの懐に入り込んだ翔は、夢中で3匹のヴォルフ目掛け横一線に剣を振り抜いた。翔の手に、重々しいヴォルフの体を切り裂いていく手応えが伝わってきた。ヴォルフは同時に唸り声を上げると、そのまま崩れるように地面に倒れ動かなくなった。

 翔は地面に膝をつき肩で大きく息をしながら、地面にひれ伏したヴォルフを見下ろしていた。無我夢中で自分でも何をしたのかよくわからなかった。ただ気が静まるのを待つように、微動だにしないヴォルフを見つめていた。

 ようやく気が静まってくると、翔は握りしめていた剣に目を向けた。剣は青色とも緑色ともつかない奇妙な色の液体がべったりとこびりついていた。よく見ると、翔の体中にその液体はこびりついていた。同様に倒れた4体のヴォルフもその液体にまみれていた。それがヴォルフの返り血であることに気がつくと、吐き気に襲われるような不快感を覚えたが、何とか我慢して立ち上がり剣を鞘に収めた。

 倒れていた女性に目を向けると、彼女はヴォルフを見ていたのと同じような怯えた表情で翔を見上げていた。この姿を見たら、それも当然だろうと翔も思った。翔自身、我を失いヴォルフに襲いかかった自分が信じられなかった。それが自らの命を守るための自衛心がなせる業だったのか、それともこれこそがアルダリスシステムが翔に与えたバーサーカーとしての能力そのものであるのか、翔自身にも判断できなかったのだ。

「もう大丈夫だから・・・」

 翔はなるべく優しい声でそう彼女に声を掛けた。彼女は、まだ怯えたような目つきで翔を見上げていた。

「君は・・・」

 彼女をよく見ると、何度か食堂で見たことのある顔だった。先日、食堂の管理者に怒鳴られていたあの給士係の女の子だった。

「どうしてこんなところに・・・?」

 彼女の肩がびくっと波を打った。彼女は視線を逸らし、顔を背けてしまった。

「わたし・・・その・・・」

「良いんだ。言いたくなければそれでも。でも、ここは危険だから、早く街に戻ろう」

 翔はそう言って彼女に手を差し出した。しかし、彼女は拒否するように身を引いた。

「わたし・・・あの街から逃げだしたくて・・・それで・・・。戻ったらわたしはもっと酷い仕打ちをされるに決まってる!もっと酷い仕事に回されるに決まってる!」

 彼女は突然せきを切ったように泣きながらそう訴えてきた。

「大丈夫。君が街を抜け出したことは誰にも言わないから」

「・・・でも、わたしあそこには戻りたくない・・・」

 翔はいつも怒鳴り声を上げている食堂の管理者を思い出した。よっぽど酷い目にあったのだろう。そう思うと、翔は彼女が酷く哀れに思えてならなかった。

「大丈夫。俺がなんとかするから。だから、街に戻ろう」

 翔はそう言い再び彼女に手を差し延べた。彼女は一瞬躊躇する様子を見せたが、おどおどした表情で翔の手を掴んだ。

「立てる?」

 彼女はゆっくりと頷くと震える足に必死に力を入れて立ち上がった。

「君の名前は?」

「フィーナ」

 そう言って翔が微笑みかけると、ようやく彼女は和らいだ笑顔を見せた。

「ちょっと待ってて」

 翔はそう言うと茂みの隙間からゲートを探った。もし相方のグランドキーパーが戻っていたら、フィーナをそのまま連れてゲートを通るわけにはいかないと思ったからだ。しかし、彼はまだ戻っていないようだった。

「大丈夫。今なら誰もいないみたいだ」

 翔はそう言うとフィーナの手を引き身を潜めるようにゲートに向かった。ゲートに辿り着くと、翔は彼女の手を離しその弱々しい瞳を見つめた。

「とりあえず、今までいたところに戻るんだ。職場のことは、すぐに何とかするから、しばらくは病気か何か理由を付けてゆっくり休んでればいい」

 翔がそう言うと、フィーナは従順な表情で頷いて見せた。

「ありがとう・・・あの・・・」

「カケル。僕の名前はカケルだ。東側の宿屋にいるから、何かあったらいつでも訪ねてくれていいよ」

「ありがとう、カケルさん」

 彼女はそう告げると、そそくさとゲートをくぐり街へと戻っていった。翔は辺りに気を配りながら誰も見ていないことを確認すると、彼女の後ろ姿をじっと見送っていた。

 ヴォルフとの戦闘を改めて思い出すと、翔は身が震えるほど恐ろしさを覚えた。ヴォルフが怖かったわけではない。ヴォルフを無我夢中で倒した自分自身が恐ろしく感じられたのだ。しかしそれと同時に、フィーナを助けたことの充実感も翔にはあった。それは、今まで何ができるかわからなかった翔の心を無性にくすぐった。

「カケル」

 突然自分の名を呼ぶ声が背後から聞こえた。予期していなかった出来事に翔は飛び跳ねんばかりに驚いたが、平静を装い後ろを振り向いた。そこには、マサハルがニヤニヤした顔で立っていた。

「全部見てたよ、カケル」

「マ、マサハル・・・!」

「あの娘は誰?知ってる娘か?」

「いや・・・その・・・」

 翔は不意の出来事に何と答えて良いか分からず、しどろもどろになり言葉にならない声で答えた。

「でも安心したよ、カケル。もしかしたら、カケルは見て見ぬふりをするんじゃないかって思ってたんだ。でも、お前は躊躇せずに彼女を助けに行った。お前は何にも変わっちゃいなかった」

「本当に全部見てたのか?」

「ああ、全部見てたよ。でも俺一人じゃヴォルフ4匹を相手にするなんて無理だからな」

「じゃああの矢はマサハルが・・・?」

 翔は1匹目のヴォルフの腕に突き刺さっていた矢のことをようやく思い出した。あの矢が刺さったから、ヴォルフの力がゆるんだのだろう。あれがなかったら、二人とも確実にヴォルフの餌食にされていただろうと今更ながらに気がついた。

「御名答」

「人が悪いな、マサハル。いるならすぐに助けに出て来てくれれば良かったのに」

「ははは、助けただろ。それにあれ以上助ける暇なんてなかったさ。カケルがあっという間にヴォルフ4匹を倒しちまったからな」

 マサハルはまるで何事もなかったかのように楽観的な口調でそう言った。

「そうだ・・・さっきの彼女のことだけど」

「みんなには言うなって?言えるわけないじゃないか。カケルに彼女ができたなんて、口が裂けても言えないね」

 マサハルが茶化すように言った。

「そういう意味じゃなくて!」

 翔はおろおろしながらそう答えた。

「分かりやすい奴だな。わかってるよ。彼女、街を抜け出したんだろ?それがやっこさんにばれたら確かにマズイだろうな。俺も街を抜け出してたんだからお互い様だ。誰にも言わないから安心しろよ」

 そう言うと、マサハルは改めて翔の姿を見まわした。

「しかし、お前は庇いきれないぞ。その格好じゃあな。何かあったと思わない方がおかしいからな」

「ああ、わかってる。ゲートでヴォルフと戦闘になったことはちゃんと報告しようと思う。ゲートのすぐ側まで奴らが迫ってきてるのは確かだし」

 そう言ってマサハルの方を振り向くと、すでに彼の姿はなかった。

「カケル!どうしたんだ!?」

 ゲートの見張り台の上から、相方のグランドキーパーが顔を出してそう言った。

「まるで忍者みたいな奴だな、マサハルの奴」

 翔は小声でそう呟くと、上を見上げグランドキーパーの男に「見たとおり」と告げるように両手を広げて見せた。

 

「それで、どう言うことなんだ?」

 翔はそのまま富野間の小屋に呼び出された。富野間の姿を見るのは数週間ぶりだった。

 最近富野間はあまりグランドキーパーやシティキーパーたちの前にも姿を見せることは少なくなっていた。やることはすべてきっちりと決められており、特に細かな指示を行う必要もなくなっていたからだが、富野間自身が距離を取っているようにも思えた。

「西ゲートの警備中にヴォルフが現れたんです。それで戦闘になりました」

 翔は素直にそう答えた。特に嘘をつく必要はなかった。ただ、余計なことを言わなければそれで良かった。

 富野間は腕を組んだまま翔の全身をなめるように見ると、再度翔の目に視線を戻した。

「何匹現れたんだ?」

「4匹です」

「それを二人で退治したのか?」

「いいえ。相方のグランドキーパーはトイレに行っていて不在だったので、一人で応戦しました」

 実際はマサハルの手助けがなければ助からなかったかもしれないが、そのことを今ここで言うわけにはいかなかった。

「ヴォルフ4匹を一人でか・・・」

 富野間は値踏みをするように翔をじっと眺めていた。ヴォルフの返り血はすでに乾いて、どす黒い色へと変化していた。富野間は一瞬不敵な笑みを浮かべると、すぐに真剣な眼差しに戻り翔に鋭い視線を向けた。

「まあ、そんなことはいい。問題はゲートにまでヴォルフが現れたと言うことだな。君はどう思う?」

「わかりません。単純に自分の姿を見つけたから襲ってきただけで、ゲートの近くまで来たのは単なる偶然かもしれません」

 翔はかぶりを振るようにそう答えた。

「いや、そういう意味じゃない。街の周辺でのモーヴの目撃情報は前からあるからな。問題は、ヴォルフが現れたと言うことだ。ランピットやフェラーなど低位モーヴが現れたのとは訳が違う」

「それが何か問題なんですか?」

「君のようにヴォルフに一人で勝てるようなプレーヤーは希だってことだよ。それに、そもそもそんな上位モーヴが街の周辺まで現れることがおかしい。街の周辺は、通常低位モーヴしかいないはずだからな」

 富野間は考え込むように顔を伏せた。彼が顔を上げるまで、翔は黙ってその姿を見ていた。

「最近、街の周辺のモーヴの活動が活発化しているのは知っているな?それと何らかの関係があると考えるのが妥当だろう。ことの真意はわからないが、この街にも危険が及ばないとは言い切れない」

 富野間は窓辺に歩み寄ると広場を眺めた。

「君がモーヴと戦闘したことは、すぐに街に広まるだろう。不安はすぐに街の人々の心を支配する。余計な不安は、街の秩序を乱す。これはある意味、君の責任でもある」

「何を言いたいんですか?」

「街の外で何が起こっているか、調査して欲しい。もちろん、内密にだ」

 富野間は翔の方に向き直るとそう告げた。

「それは命令ですか?それとも、街の秩序を乱したことへの罰ですか?」

「両方だ」

 富野間は翔の問いに短くそう答えた。

「わかりました。・・・もう、いいですか?」

 富野間が頷くのを確認すると、翔はとりあえず一礼して小屋を出た。翔は小屋を出た途端深いため息をつき、体中にこびりついたヴォルフの返り血に不快感を覚えながら、とりあえず体を洗わなくてはいけないなと思い、宿屋へと向かった。

 宿屋へと向かう途中、訝しげな顔で他の者たちが翔を何度も見ていた。確かに、富野間の言うように噂はすぐに広まるだろう。こういった種の噂は広まるのが早い。おおかた、既に相方のグランドキーパーが街の者たちに触れ回っているかも知れない。住む場所やそれぞれの役割は管理できても、人々の心まで統治できていないのがこの街の実状だ。むしろ、それぞれの心はないがしろにされていると言っても良い。

 翔はフィーナのことを思い出した。約束したのだから、彼女もなんとかしてあげないといけないと思った。しかし、あの場ではあんな大口を叩いたが、自分にそれほどの権力はないのが現実だった。この街は、どんなに人々が差別化されようとも、富野間から見れば足元を這いずり回る蟻と同じだ。

「カケルくん!」

 宿屋に着き自分の部屋に向かう階段を登っていると、後ろから自分を呼ぶ声が聞こえた。

「ミイ・・・」

 振り返ると、ミイが走ってきたのか息を切らした表情で立っていた。

「マサハルくんから聞いたの・・・大丈夫?」

「ああ、俺は大丈夫だよ。このとおり」

「良かった・・・」

 ミイはほっとしたように頷いて見せた。

「ミイこそ、最近はどう?」

「うん・・・聞いたと思うけど、わたしシティキーパーを辞めて、今は清掃の仕事をしてるの。わたしには、そっちの方が性に合ってるみたい」

 ミイはそう言うと作り笑いを見せた。

「ごめんね、勝手に辞めたりして・・・」

「ミイが謝ることじゃないよ。人にはそれぞれの事情ってものがあるし」

 翔は笑顔でそう答えると、階段を登り始めた。

「みんな、バラバラになっちゃったね・・・」

 ミイは翔に並ぶように階段を登りながら、悲しそうにそう答えた。

 翔は何も答えられず自分の部屋に続く廊下を歩いていた。角を曲がり部屋の前に続く廊下に出ると、部屋のドアの前に誰かが立っている姿が見えた。

「フィーナ」

 翔はその姿を確認すると、思わず彼女の名を呼んだ。暗い表情でドアにもたれ掛かるように立っていたフィーナは、翔の姿を確認するとにわかに笑顔を見せた。しかし、その隣を歩くミイを見て、またすぐに顔を伏せてしまった。

「どうしたの?」

 翔はフィーナに歩み寄ると、顔を伏せる彼女にそう尋ねた。彼女は上目遣いに翔を見ながらも、おどおどした表情で黙っているだけだった。

「じゃあ、わたし・・・行くね。ごめんね、突然訪ねてきたりして」

「あ、ミイ」

 ミイは翔が引き留める間もなく、そのままそそくさと去っていった。翔はその後ろ姿を見送りながら、呆然と立ち尽くしていた。

「彼女・・・カケルさんの恋人・・・なの?」

 ミイの姿が消えると、フィーナは小声で翔に尋ねてきた。

「いや・・・そういうのじゃないよ。彼女は一緒にオフラインゲームに参加した仲間なんだ」

「そう・・・」

 フィーナは浮かない顔でミイの消えた廊下をじっと見つめていた。

「ところで、どうしたの?」

 翔は改めてフィーナにそう尋ねた。フィーナは相変わらずおどおどした表情で顔を伏せた。

「いつでも・・・来ていいって言ってくれたから・・・部屋に・・・戻りたくなかったの・・・」

 フィーナは覚束ない口調でそう答えた。考えてみれば部屋に戻っても食堂で働いている他の人たちと一緒にいなければならないため、彼女が戻りたくないと思うのも当然だった。

「とりあえず、部屋に入って。狭いところだけど・・・」

 翔はそう言ってドアの鍵を開け中に入った。言った後で、フィーナたちのクラスの人たちは自分と同じくらいの部屋に数人で寝泊まりしてることを思い出し、余計なことを言ってしまったと後悔した。しかし、フィーナは何も言わず、言われるまま翔について部屋の中に入ってきた。

「そこに座って待ってて。ちょっとシャワーで汚れを落としてくるから」

 翔はそう言い鎧をその場に脱ぎ捨てると、彼女を部屋に残しシャワールームへと入った。考えてみれば、彼女たちはシャワーさえ使用が制限されているはずだった。自分がどれだけ優遇されているか、今更ながらに痛感する。

 シャワーを浴び終え部屋に戻ると、フィーナは同じ位置に座ったまま翔を待っていた。しかし、その目の前にはすっかり綺麗に拭い取られた鎧が置かれていた。翔が頭をタオルで拭いながら彼女に目を向けると、ようやく彼女は和らいだ笑顔を見せた。

「ありがとう。フィーナも・・・シャワー浴びるかい?普段はそんなに浴びれないだろうから・・・」

 フィーナは首を横に振り、「ありがとう」とだけ答えた。

 翔は改めてフィーナを見た。見るからに大人しそうな、少し幼さを残す小柄な女性だった。

「ああ、ちゃんと自己紹介してなかったね。僕はカケル。24歳。仲間と9人でこのオフラインゲームに参加したんだ」

「わたし・・・フィーナ。21歳。仲間は・・・いない」

 フィーナはそう答えた。仲間がいないと言うのは、恐らく話したくないという意味だろうと翔は思った。基本的にオフラインゲームは5名以内のパーティーで参加しなければいけなかったからだ。一人で参加したと言うことはあり得ない。

「あの・・・わたしを・・・ここにおいてくれませんか?」

 彼女は身を乗り出すように翔を見つめると、そう懇願するように言った。

「ここに?」

 翔は戸惑いながらも何と答えて良いか分からず返答に困ってしまった。

「・・・何でもしますから。お願いします!」

 フィーナは祈るように再びそう言った。翔にしても、彼女の頼みを無碍にすることはできないが、かといって安易に頷くこともできなかった。しかし、どうにかすると約束したのは翔の方だ。何か良い案はないかと考えているうちに、有紀のことが頭に浮かんだ。

「そうだ。俺の知り合いに、信頼できるグランドキーパーがいるんだ。彼女なら、なんとかしてくれるかもしれない」

 翔はそう言うと彼女の側に歩み寄った。

「とりあえず彼女に相談してみよう」

 翔はそう言うと、促すようにフィーナを立ち上がらせた。フィーナは困惑した表情を見せながらも頷いて見せた。

 翔はフィーナを連れて部屋を出ると、有紀の住むグランドキーパーの宿舎へと向かった。

「あ、カケルくん!」

 有紀は翔の顔を見るなり、そう言って部屋の中に招き入れた。フィーナが一緒にいることに気がつくと一瞬躊躇した様子を見せたが、翔が大丈夫というように頷くと、彼女も頷き二人をそのまま部屋の中に招き入れた。

「聞いたわ。ヴォルフに襲われたんですって?よく無事だったわね」

 有紀がその話を切り出すと、フィーナはおもむろに顔を背けた。その様子を見て、翔は安心させるように彼女の肩に手をのせ頷いて見せた。

「・・・彼女は?」

 有紀は何かしら事情があることを察したのか、部屋のドアを閉めると小声でそう尋ねてきた。

「実は・・・彼女がヴォルフに襲われているところを助けたんです。彼女・・・街から逃げようとしたところを、ヴォルフに襲われたんです」

 フィーナは目を大きく見開いて不安そうな表情で翔の顔を見た。

「大丈夫。有紀さんは信頼できる人だから」

 翔はそう言うと、フィーナは有紀の顔を上目遣いに確認しゆっくり頷いた。

「そうね・・・わかるわ、あなたの気持ち。逃げ出したくもなるわよね、こんな街・・・。ごめんね、本当に。わたしたちの力が及ばないばっかりに・・・」

 フィーナは有紀のその言葉を聞いて安心したらしく、硬く縮こまっていた体をようやく解いた。

「実は相談なんですけど、彼女が安心して住める場所と仕事を提供してあげて欲しいんです」

 有紀はしばらく考え込むように黙っていた。その様子を見て、フィーナは不安そうな眼差しを翔に向けていた。

「そうね・・・。事情が事情だから、富野間に事が知れるのもまずいわね。わかったわ。そう言うことなら、ここで寝泊まりするといいわ。調度、ここの部屋のベッドがひとつ空いてるから」

 フィーナの顔ににわかに笑顔が浮かび、嬉しそうな顔で翔を見た。

「ありがとうございます、有紀さん」

 翔も笑顔でそう答え、フィーナに微笑んで見せた。

「仕事は・・・そうね。彼女の世話をしてもらおうかしら。世話って言っても、ずっと寝たままだからたいしてすることがある訳じゃないんだけど。でも、わたしは頻繁に外に出なくちゃいけないから、部屋にいて彼女を看ていてくれると助かるわ」

「彼女って・・・?」

 フィーナは再び不安そうにそう尋ねた。

 有紀は立ち上がると、隣の部屋へと続くドアを開け、中に置かれたベッドにすやすやと眠る女性をフィーナに見せた。

「いい?このことは絶対に秘密にして欲しいの。他のグランドキーパーにも、絶対に言わないこと。その代わり、あなたのこともわたしは絶対誰にもしゃべらない。表向きは・・・そうね、グランドキーパー宿舎の清掃係ってことにしておきましょう。実際に、このグランドキーパー宿舎の掃除とかもしてくれると助かるわ。誰もね、そんなことしたがる人がいないのよ。かといって、街の人たちにここを掃除しろ何て指示するわけにもいかないし、困ってたのよね。えっと・・・」

「フィーナです。有紀・・・さん、ありがとうございます。ここにおいてくれるなら、世話でも掃除でも何でもします!」

 フィーナはそれまでのおどおどした様子が嘘のように活発な声でそう言った。

「カケルさんも、ありがとう!」

 フィーナはそう言って翔に飛ぶように抱きついてきた。翔は突然の彼女の変貌にどぎまぎしながら、苦笑いを浮かべながら有紀を見た。

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