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PHASE 9 「まやかしの平和」
「有紀さん、彼女どうです?」
翔は警護の合間をぬって有紀の部屋を訪れると、彼女にそう尋ねながら部屋の中へと入った。
有紀は、何か調べ物をしていたらしく、椅子に座ったまま翔を迎え入れた。
「なにも。まだ目を覚まさないわ。もう一週間以上もたつのに・・・。こんなことってあるのかしら?」
有紀はかけていた眼鏡を外しながらそう言った。翔は、その仕草に見とれていた自分に気がつくと、恥ずかしそうに顔を逸らし、ベッドで眠る彼女に視線を向けた。
翔たちはあの地下施設で彼女を見つけた後、とりあえず有紀の部屋へと彼女を運び込んだ。有紀は、彼女のことを富野間には知らせない方が良いと言い、結局彼女のこともあの地下施設のことも富野間には報告していなかった。見たところ、彼女はIDユニットもグランドキーパーユニットも携帯していなかったし、あの施設が何であったのかも、彼女が何者であるのかも不明なままだった。
あれ以降、翔たちはあの施設に何度か足を運んだが、結局何も分からなかった。あの大きな機械の部屋は、完全に密閉されていてどこからも入り込むことはできなかった。他の部屋もいくつか調べてみたが、どの部屋も何もなくお手上げ状態だった。
とりあえず、翔たちは彼女が目を覚ますのを待つしかなかった。
「俺も詳しくないからよく分かりませんけど・・・そう言えば、マサハルは医者を目指してたって言ってました。彼に看てもらえば、何か分かるかも知れません」
翔はマサハルがかつて医者を目指していたという言葉を思い出し、有紀にそう答えた。
「そうね・・・もう少し様子を見て、それでも起きそうもなかったら彼に相談してみましょう」
「富野間さんには報告しなくて良いんですか?」
翔は何となく有紀にそう尋ねた。有紀が富野間をどう思っているのか確認したいという気持ちもあった。
「いいのよ。なんとなくね・・・彼女、何かある気がするのよ。彼には渡せないわ」
有紀は翔の顔を見上げながらそう答えた。
「信用・・・してないってことですか?」
「そう言う訳じゃないわ。・・・いや、そうかもしれないわね。でもそんなことより、彼女はそれを望んでないような気がするの。彼女はわたしたちが守ってあげなくちゃいけないのよ」
翔は有紀の言う言葉が何となく分かる気がした。それは翔も同様に感じていたことであったからだ。彼女を見つけたとき、翔は有紀と同じように彼女にただならぬものを感じていた。しかしそれは、彼女が持つ雰囲気や気配と言ったものではなく、それはあくまで自分自身が抱く予感に過ぎなかった。しかし、有紀も感じているならば、この直感は正しいのかも知れないと翔にも思えた。
「きっと彼女が目を覚ませば何かが分かるわ。それまで待ちましょう」
翔は有紀の部屋をあとにすると、食堂に向かった。食堂に着くと、翔は給士係に自分のIDを見せる。給士係は翔に一瞬目線をあわせると、いけないことしたかのように視線を逸らし、おどおどした表情で食事プレートを渡してきた。
「ありがとう」
翔はぎこちなくそう礼を述べながら、給士係から食事プレートを受け取った。
翔のプレートに載っている食事は、明らかに他の者とは異なっていた。量も多く、金額的に高いものが多い。その分、他の者と比べると遙かにおいしそうに見えた。
これも富野間が決めたルールだった。当初は、誰もが同じ食事を取ることになっていた。しかし、ほんの数日で、富野間が与えた仕事に対する意欲を、街の人たちはすでに維持できなくなっていた。働いても働かなくても、同じ飯を食べ、同じように生活することができる。同じ規則の下に平等であると言うことが、人の働く意欲を急速に削ぎ落としていったのだ。
そこで富野間は、あらゆる面で働く者、働かない者を区別することにした。働くものにはポイントを与え、ポイントが増えていくと、更に上階級の仕事に就くことができるようにした。当初、ゲームのレベルで割り振られていた仕事が、ポイント制の導入により働くことで報われるシステムに変更したのだ。
これは、街全体の労働意欲を一時は活性化させることに成功した。しかし、それと共に各階級による差別意識は急速に大きくなっていった。上の者は下の人間を嘲笑い、下の者は上の人間を妬む。
プレートを受け取り、席に向かおうとすると、キッチンの中から大きな声が聞こえた。
「ちょっと!フィーナ!いいかげんにしてよ!」
翔が何気なく振り返ると、食堂の管理者らしき女性が先ほどの給士係の女性に向かって勢いよく怒鳴っているのが見えた。
「どうかしましたか?」
翔が遠慮気味にそう声を掛けると、管理者らしき女性はすっと身を屈めて翔に首を振って見せ、キッチンの奥へと消えていった。怒鳴られていた女性は、今にも泣き出しそうになるのを堪えながら、すぐに立ち上がり頭を下げた。
「ありがとうございます」
彼女はそう呟くと、そそくさと厨房の奥へと消えていった。
翔はその姿を見送ったあと、ため息をつくように仕方なく近くの空いていた席に着いた。座ってから、遠目に振り返ってキッチンの方に目をやると、あの管理者らしき女性がまた違う女性を怒鳴り、給士係の女性はただ縮こまるようにして耳をふさいでいる姿が見えた。
そんな光景を、翔は毎日いろんなところで目にする。翔たちシティキーパーの前ではあからさまに下の人間を貶すことはなかったが、隠れたところで様々な「イジメ」が横行していることは翔も知っていた。しかし、それをどうすればよいのかも、翔には分からなかった。
たとえその場で注意したとしても、翔たちが去った後には、更に酷い仕打ちが彼らを待っているだろう。かといって、そうやって権力を振りかざす者たちを、翔たちの力でどう変えられるというのだろうか。もし彼らを叩きのめしたとしても、それは彼らのやっていることと何等変わらないのではないか。翔にはそう思えた。
翔は誰を責めることもできなかった。誰かに責任があるとすれば、何もできない自分にあるのではないか。翔はそう考えると、自分が腹立たしかった。
「よう、カケル」
マサハルが笑顔でそう声を掛けながら、プレートを持って翔の前に立っていた。
「何か、随分久しぶりな気がするな」
マサハルはそう言いながら、席に着くとご飯を口に放り込んだ。実際にマサハルと会うのは数日ぶりだった。
「ミイは?」
マサハルがそう尋ねてきた。
「いや、最近俺も会ってないんだ。たぶん、ここに来るのが嫌なんじゃないかな」
翔は何故か食が進まず、箸を置いてそう言った。翔も、できればここには来たくないというのが本音だった。いや、この街の中に、心が安まる場所はないという方が正しいかも知れない。どこに行っても妬みと憎しみの眼差しで見つめられる。ミイも、きっとそれに耐えられなくなったに違いないと翔は思った。
「・・・そんなこと気にしてたら、身体が保たないぜ」
マサハルは翔の気持ちを察知したのか、そう小声で呟いた。
「まあ、なるようにしかならないさ」
マサハルはそういつもの口調に戻って翔に言った。
「で、調子はどうだ?」
「うん、まあ元気だよ・・・。マサハルはどうなんだ?」
「俺か?まあ、それなりにやってるよ。色々とね」
マサハルははぐらかすような口調でそう答えた。
「色々って?」
翔がそう尋ね直すと、マサハルは少し躊躇するように持っていたフォークをぐるぐる回しながら考えていた。
「最近、モーヴが頻繁に街の周辺に現れるだろ?どうやら、街の外で何かが起こってるみたいなんだ」
マサハルは翔の方に顔を戻すと、周りに聞こえないよう小声でそう言った。街の者にはほとんど知らされていないが、街の外でモーヴたちの動きが活発化してるという話を翔も耳にしていた。
「それについて自分なりにちょっと調べてみたんだ」
「勝手に街の外に出たのか?」
「ああ。こうやってじっとしていても始まらないからな。できることはしないと」
マサハルを責める気にはなれなかった。恐らく、彼は正しいのだろう。このままでは駄目だと思いながら、何もしてこなかったのは翔自身だ。
「そのおかげで、いくつかわかったことがある。まずひとつ・・・これはカケルも気づいているとは思うが、モーヴたちは実体を手に入れてる。やつらは、現実に実体として存在する。もちろん殺傷能力もある。ここでは、ゲームの世界が、そのまま現実になっているんだ」
翔はおもむろに頷いて見せた。有紀の語った意見とほぼ同じだ。これで、この世界がアルダリスシステムによって実体化しているということはほぼ証明されたと考えて良いだろう。
「それともうひとつ、これらのモーヴたちは何かの目的があって動いているように思える。モーヴたちは、必ずひとかたまりの集団を作って森の中を移動している。まるで、何かを探してるみたいだな」
「モーヴたちが?そんなことあり得るのか?」
「そんな疑問は考えるだけ無駄だろ。モーヴが実体化されてる時点で、もう何かに疑問を持つことは止めたよ、俺は」
マサハルは苦笑いを浮かべながらそう言った。
「今のところ、シュールを襲うような気配は見せていないが、必ずしも安全とは言えない。とにかく、奴らの目的が何かあるはずだ。俺は、それを突き止めようと思う」
「それは危険だよ、マサハル」
ありきたりの言葉がついて出たわけではなく、それは翔の本心だった。
「こんなまやかしの平和を誰が信じる?このまやかしの平和を誰が守る?誰かが、やらなくちゃいけないだろ?」
マサハルは翔をまっすぐ見つめながらそう言った。
「もし俺に何かあったら・・・みんなをよろしく頼む、カケル」
マサハルはそう言って立ち上がり、トレイを持つと背を向けた。
「あと・・・ミイなんだけど、シティキーパーを辞めたらしいんだ」
「え?」
何も知らされていなかった翔は、それを聞いて一瞬戸惑いを見せた。
「とにかく、ミイの所にも顔を出してやれよ、カケル」
マサハルは振り返りそう告げると、再び踵を返し「じゃあ、またな」と一言告げて出て行った。
――まやかしの平和
そのとおりかもしれない、と翔も思った。すべては、富野間の作りだした秩序というベールに包まれた、まやかしの平和なのかも知れない。そして、その平和は確実に綻んできている。
翔は結局食べる気がせず、ほとんど残したまま席を立った。
翔は食堂を出ると、どこに行くとも知れない足取りで街の中を歩いていた。先ほどの食堂で見た出来事と似たような光景が、街のあちらこちらで見て取れる。弱い者を卑しめる者、強い者にへつらう者、見ているだけで吐き気が出てくるような光景だ。
そんな光景を横目で流しながら、その足は自然とランドリーに向かっていた。ランドリーでは、サクラが働いていた。翔は、ときどき彼女を訪れることを日課にしていた。自分が彼女に何をしてあげられるのかは分からなかったが、だからといって、放っておくことができなかったからだ。
「カケルくん」
翔は自分を呼び止める声を聞いて、足を止めた。振り返ると、マル太が立っていた。
「どうしたんですか?マル太さん」
「ちょっといいかな・・・」
マル太はそう言って、翔を自分の部屋に誘った。
翔は、マル太に付いて彼の部屋へと向かった。マル太の部屋は、翔の部屋に比べてかなり狭かった。部屋と言っても、使っていない武器屋の一角を板で仕切っているだけのものだった。翔は宿の部屋を割り当てられていたが、他の人がどんな場所に住んでいるかなど考えたこともなかった。階級による差別はこんなところにまで及んでいるのかと思うと、胸が痛くなる思いがした。
「カケルくん、忙しいところゴメンね」
マル太は部屋に付くと改めてそう翔に言った。
「いや、マル太さんこそ大変でしょう?」
マル太は確か街中の廃品物の回収作業にあたっているはずだった。ようは、ゴミ収集業だ。街の中でももっとも嫌われている職だろう。
「ボクはね、こういうの慣れてるから大丈夫だよ。でもね・・・」
マル太はそう言うと口を噤んだ。
「サクラさんのことですか?」
翔はマル太がサクラのことを慕っていることは知っていた。
「たぶんカケルくんたちシティキーパーは気がついてないと思うんだけど・・・末端の作業場はあまり良い状況じゃないだ」
「どう、良くない状況なんですか?」
「サクラさんのいるランドリーを管理してる男いるんだけどね・・・他の女性は、その男に身体を・・・分かるよね?」
「・・・なんとなく、想像は付きます」
認めたくはなかったが、そう言うこともあり得ると翔は思っていた。
「サクラさんはそんなこと絶対にしない人だよ。でも、その代わり・・・」
マル太は唇を噛みしめるようにしてしばらく黙り込んでいた。
「サクラさんがそれでもまだやってられるのは、カケルくんのおかげなんだ。たまにカケルくんが見に来てくれるから、あいつらもサクラには手を出せないんだよ」
マル太は目を伏せて翔の顔を見ようとしなかったが、その口調ははっきりとしていた。
「僕じゃダメなのはわかってたんだ。僕じゃ彼女を守れない」
そう言い、マル太はようやく顔を上げた。そして、翔の目を真っ直ぐ見つめていた。しかし、マル太はそれ以上何も言おうとしなかった。
翔はマル太が好きだった。メンバーの中でも、人一倍優しく、思いやりがあり、決して屈しないプライドを持っている。マル太が、本当は誰よりもプライドを大切にすることは知っていた。彼のプライドは、他の人に比べれば基準が低かったかも知れない。しかし、彼は決してそのプライドを捨てることはしない男なのだ。
「わかりました」
翔はそう言って立ち上がり、マル太の部屋を出た。
マサハルはミイの所に顔を出せといい、マル太はサクラを守ってやって欲しいと言う。しかし翔には、今の自分に何ができるのか良く分からなかった。確かに、こうやって自分がサクラのところに訪れることが、マル太の言うように少なからず彼女のためになっているのなら、それに越したことはなかった。しかし、それとは裏腹に、彼女は最近翔のことを敬遠しているようにも思える。彼女は彼女なりに、自分の力で頑張ろうと必死なのだ。今の彼女に必要なのは、翔のような存在より、むしろそれを遠くから暖かく見守ることのできるマル太なのではないかと、翔は内心そう感じていた。
「サクラさんいますか?」
翔はランドリーに行くと、管理者らしき男性にそう声を掛けた。男は無言で、勝手に入れと言わんばかりにあごで奥の方を指す様な仕草をした。
翔は頭を下げながら、ランドリーの奥へと足を運んだ。
サクラは、黙々と洗濯物の仕分けをしていた。翔はしばらく声を掛けることができず、入り口で働くサクラの姿をじっと見つめていた。
「サクラさん、こっちのやつもお願いね」
「ああ、わたしの分もお願い!」
「ご飯食べに行ってくるから、残りはよろしくね」
一緒に作業をしていた女性達は、そう示し合わせたようにサクラに告げると一斉に作業を止めて、その場を離れた。女性達は翔の姿に気がつくと、バツが悪そうにそのまま足早にランドリーを出て行った。
サクラも彼女たちが去っていく姿を何気なく見やり、その横に翔の姿を確認すると軽く微笑んで見せた。
「サクラさん、手伝おうか」
翔はそう言ってサクラのそばに寄ると、隣に立って仕分けを手伝い始めた。
「・・・大丈夫?」
翔はサクラの顔を横目に、恐る恐るそう尋ねた。
翔はそう尋ねてから、何故か自分が情けなくなっていた。「大丈夫」ってなんなんだ。何がどう「大丈夫」なんだ。そんな言葉しかかけてやれない自分が、とても不甲斐なく思えた。
「大丈夫よ。わたしはいつも元気よ、いつもと変わらずね」
サクラは大袈裟に微笑んでそう答えた。サクラらしい、可愛らしい笑顔だった。しかしそこには、初めて会ったときに見たような溌剌さはないように思えた。
「カケルくんはどう?」
「うん、何とかやってるよ」
翔はできるだけ笑顔でそう答えた。
翔は服をたたみながら、自分がサクラにできることはなんだろうと考えていた。こうやって、一緒に服をたたむことではないはずだ。マル太も、そんなことを自分に望んでいるわけではないはずだ。しかし、考えれば考えるほど、何をして良いかさえわからない自分が情けなくなるだけだった。
「・・・サクラさん、やっぱりこの街に残ったこと後悔してる?」
翔は、サクラにそう尋ねた。
「わからない・・・・。でも、わたしも、わたしなりにがんばらなきゃって、今は思っているの。誰かに頼ってばかりじゃ、わたし自身が駄目になっていくから・・・だから、わたしのことは気にしないで」
そう告げるサクラに、翔は何も言えなかった。ただ、翔はその顔を見届けると、黙って仕分けを続けた。
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